アイ

警蹕の声

2019年の年明けのさだまさしの番組で、冒頭に「天然色の化石」という歌が歌われました。

www.youtube.com

それに続いて、二曲連続で「おんまつり」という春日大社を舞台にした歌を歌っていました。

正直、個人的には結構びっくりしました。こんな知名度ゼロの、ニューアルバムの中にだけある曲をNHKの全国放送で歌うんだ、って。

www.youtube.com

 

この歌の中で「けいひつのこえ」という歌詞が出てきます。

僕は春日大社のおんまつりに参加したこともないですし、そのこともあり知らない単語だったので今更ながら調べました。

kotobank.jp

天皇や貴人の通行などのときに、声を立てて人々をかしこまらせ、先払いをすること。また、その声。「おお」「しし」「おし」「おしおし」などと言った。みさきばらい。みさきおい。けいひち。

ああ、なるほど、と膝を打ってしまいました。

この曲は、サビの終わりに「おお〜」というスキャット(というには重々しいですが、他に表現が見つからない)を繰り返しますが、これはつまり「おんまつり行事中の警蹕の声」を表しているのですね。

コンサートで何度か曲を聴きましたが、なんとはなしにやり過ごしてましたし、「なんでこんなに「おお〜」って繰り返すんだろう?」とすら思ってました。

 

さだまさしの歌は、古語もふんだんに使いますし、ちゃんと聞き手が調べないとその歌の真髄というか奥行きがわからない歌が多いですね。よくさだまさしの歌は難しい」という意見を聴きますが、それなりに好きで頻繁に聴いてる僕でも本当にそう感じます。ファンの方々も、よくついていってるなと思ったりします(笑)

 

 

ついでに、以前調べてた「おんまつり」中の専門用語についても記事に貼っておきます。

 

瓜灯籠

www.photolibrary.jp

↑のようなもの。

 

御旅所

ja.wikipedia.org

御旅所(おたびしょ)とは、神社の祭礼(神幸祭)において神(一般には神体を乗せた神輿)が巡行の途中で休憩または宿泊する場所、或いは神幸の目的地をさす。巡行の道中に複数箇所設けられることもある。御旅所に神輿が着くと御旅所祭が執り行われる。

 

御蓋山

ja.wikipedia.org

標高297m、三笠山とも表記する。山容が笠を伏せた形をしていることから名付けられた。山頂の浮雲峰は、768年(神護景雲2年)、春日大社の祭神である武甕槌命が、藤原氏により勧請され、白鹿に乗り降り立った場所とされ、本宮神社が祀られている。

御蓋山は入山不可の神域らしいです。

 

若宮のお松明

 

ja.wikipedia.org


春日若宮おん祭(かすがわかみやおんまつり)は、奈良県奈良市春日大社の摂社若宮神社の祭祀として、奈良公園周辺で毎年12月17日を中心に数日に渡って行われる祭礼である。

(中略)

若宮をお迎えする「遷幸の儀」から若宮をお還しする「還幸の儀」までの祭祀は24時間で執り行われる。12月17日午前零時に始まり、12月18日の午前零時になる前にお帰りになる。この間「遷幸の儀」「還幸の儀」ともに一切の照明および写真・動画の撮影は禁止されている。

(中略)

若宮の神霊は榊を持った神職が十重二十重に守りお囲みしてお遷し申し上げる。この遷幸の間は奉仕者が絶え間なく「ヲーヲーヲー」と先払いの警蹕の声を上げながら進む。また奉仕者に囲まれた若宮に先立ち、松明やお香を持った人が進み若宮のお渡りになる道を清める。

これは「おんまつり」がどのような神事なのかを理解しないと分からないですね。

若宮の神霊をお迎えしお返しする際に、若宮がお渡りになる路を清める意味でお松明をもった方々が歩くようです。

 

 

レペゼン

abema.tv

たまにAbemaTVでフリースタイルのラップの番組を見ています。

即興で言葉を載せていくのは楽しくて、結構時間を忘れてみちゃいますね。

 

ただ、専門用語というか、仲間内の馴れ合いというか、聞きなれない言葉が結構多いです。

代表的なのは「レペゼン」

 

どういう意味なのか調べてみたら

moto-neta.com

 

「レペゼン」とは、ヒップホップ用語で「◯◯を代表する」という意味である。「〜からやってきたぜ」という意味でも使われる。

この◯◯には出身である地元の名前が入る。たとえば埼玉出身なら「レペゼン埼玉」、大阪出身なら「レペゼン大阪」といったように使う。

(中略)

元々の英語は「代表する」を意味する「Represent(レプリゼント)」で、略す&訛らせて「レペゼン」と発音している。本来の英語の発音ではない和製発音である。ネイティブのラッパーに言っても通用しないので注意。

うわー、って思わず唸ってしまいました。

Representを「レペゼン」にする感覚はちょっと理解できない。さすがにこの略し方は無いし、もっと言葉を大事にする人たちだと思っていたのですが。

 

ヒップホップやフリースタイルが大衆権を得ていくためには、こういうところが課題になっていくのかなと感じました。もちろん、やっている人たちはそんなのクソ食らえと思っているかもしれませんけど。

 

 

パスワードシンドローム

飲み会やランチの席で、僕がさだまさしを好きだって事を知っている人たちにさだまさしってフォークの人だよね」「なんで70年代の古いフォークソングをいまだに聴いてるの?」といった話をされることがたまにあります。

 

そういう人たちに、さだまさしは3歳からバイオリンの英才教育を受けていてクラシックの十分な素養を元に曲を作ってるんだよ、クラシック音楽と文学的な世界観の融合が魅力で、単なるフォークミュージシャンではないんだよ、と話をすると結構驚かれます。

精霊流し」「無縁坂」などでバイオリンを弾いてる動画を見せたりすると「私の知ってるさだまさしと違う!!!」と驚いたりする姿を見るのは楽しいですね。デビュー時からバイオリン弾いてるし、代表曲もバイオリンを弾く曲多いのに、お前の知ってるさだまさしはなんなんだ、という世界です。

www.youtube.com

www.youtube.com

 

とはいえ、さだまさしも歌手デビューから45年、世間的に知られている大ヒット曲は70年代〜80年代に集中している「昔」の歌手に思われるのも致し方ありません。昔はお世辞抜きで流行歌手だったようですが、今は最先端の流行を作り出しているというわけでもありません。

「コンサートでは、どうせ昔の曲ばかりやってるんでしょ?」

そう言われることも多いのですが、その際は昨年発売されたこの曲を聴かせる事を常にしています。

www.youtube.com

最先端とまで言うのは憚られますが、今風の4つ打ちのEDM風のBGMに乗せて、Auto-Tuneのエフェクトでギンギンに補正された機械的さだまさしの声が流れてくる。若者よ、これが21世紀だ(?)と言いたくなるような仕上がりになってる、この「パスワードシンドローム

アルバムにただ収められているだけではなく、昨年の45週年ツアーではオープニングにクラブのダンスフロアのような重低音のバスが鳴り響くアレンジの中、客席は総立ち、各々購入したLEDライトを腕にはめ(ちなみに「さだDaヒカルっ」という名前が付いている)、EDMのノリにあわせて60歳以上のジジババが中心の観客が踊り狂うという「世界の終わり」のような光景が繰り広げられていました。

昔のさだまさしの曲ばかり聴いているという人は、ちょっと趣味の柔軟性が硬直化している感じがしますが、それとは関係なくさだまさしは常に新しい面白いことをやっている人で、さだまさし自体に古臭さを感じるということはファンとしてはありません。特にツアーなどによく参加しているとよりそう感じます。

 

このパスワードシンドロームは、楽曲として見ても歌詞が良くできているなと思います。

パスワードにまつわる「あるある話」と、彼女との心のやりとり、恋愛模様をうまくかけ合わせた歌詞になっています。

パスワードシンドローム 歌詞

 

サビの「最初はやさしかったのに」は、パスワードの覚えやすさと、相手の心もようを上手くかけ合わせていますね。

「その窓を閉じないで」は、心の窓と、パソコンのウインドウをかけ合わせています。

「見つめ合うだけじゃ駄目なの?」iPhoneのFaceIDを皮肉っていますね。

 

楽曲全体でみると、CDに収録されているバージョンはちょっと完成度が低いかなと感じるところもあります。これはこの年にレコード会社をビクターに移籍し、そのプロモーションのために急いでCDを仕上げたせいかな、と個人的には思っています。

ライブバージョンはとても良いできだったように個人的には思います。

 

そういう感じで、さだまさしは新しいジャンルに常にチャレンジしていますし、その楽曲もCDで録音したものからライブを重ねるごとに形を変えて完成度を高めていきます。

固定観念ステレオタイプで評価するのはもったいないから、ぜひ健在なうちにライブに足を運ぶのが良いのではないか、そんなことを感じさせるミュージシャンです。

 

 

黄金律

www.youtube.com

心の底からの「善意」ですら、受け取る人にとっては「悪意」になってしまう。

「幸せ」ですら、場合によっては「敵」になってしまう。

 

「一般的」「あたりまえ」「ふつう」「みんな」「公平」って何なのか、教えてほしいよ。

 

そんな重たいテーマを、ブラスバンドが鳴り響くなか「ランランララララン」という明るいメロディを口ずさむことでオブラートに包んで、暗く重たくなりすぎないように努力しているように見えるこの「黄金律」という曲。

 

「黄金律」というタイトルが素晴らしいですね。

他人から自分にしてもらいたいと思うような行為を、人に対してせよ

 

相手を基準にしたら、何が正しいかなんてわからない。相手のために行った行為が相手の感情を逆なですることもあるし、相手の気持ち次第でいくらでも受け取り方が変わってしまう。

そもそも、自分が伝えたいと思ったことが、色々な理由で曲解され、ねじまげられ、相手の都合のよいように扱われてしまうことだってある。

 

そんな世の中で自分の正義感、自分の心を保ち続けるためには、皆がみなの「黄金律」を持つしか無いんだよ、と言っているように聞こえます。

 

僕は、さだまさしさんの世の中に対する隠しきれない「怒り」みたいなものを感じる曲です。

 

 

昨年発売された「Reborn」というアルバムの中では個人的に印象的な曲でもあり、同時に、曲全体としては収まりが悪く完成度が低い、歌詞も抽象的な歌だなという印象を持ちます。

 

Reborn ~生まれたてのさだまさし~
 

 

とはいえ、具体的な人たちの姿は、今までの数々のさだまさしの歌のなかで描かれている、という言い方もできます。

「ある日海の向こうから幸せがやってきて」君を連れて行ってしまうのを、心の優しさから見送ってしまう人の歌もあります。

逆に、「連れて行くのを止めてしまった」結果、君の幸せを奪ってしまったのではないかと告解する歌もあります。

「怪我の重い人から順番に手当をする」ために、病室に残された老人に寄り添う若者の姿を描いた歌もあります。

 

この「黄金律」は、さまざまな人生の生き方、歩み方を考えるための、インデックスみたいな曲だな、と個人的には最近感じています。

 

www.youtube.com

www.youtube.com

www.youtube.com

道歌入門

 

道歌入門 悲しいときに口ずさめ 楽しいときに胸に聞け

道歌入門 悲しいときに口ずさめ 楽しいときに胸に聞け

 

 作者の岡本彰夫さんは、かつて春日大社宮司を務められていた方のようです。

「道歌(みちうた)」とは、道徳的な和歌、を指すとのことです。

岡本さんが、「お説教」の中で語られた道歌に心惹かれたものの、書籍などでまとまって収蔵されているものが少ないことに一念発起してこのような書籍を上梓したようです。

心惹かれた道歌としては、以下の歌が紹介されていました。

欲深き 人の心と 降る雪は 積もるにつけて 道を忘るる

日常になぞらえた例えとして理解が平易ですし、それなりに深みを感じる歌ですね。

 

このような道歌が多数収蔵されているのが当書ですが、かなり易しい言葉で書かれている本なので、小中学生でも内容が理解できるくらい平易だと思います。また、見る人によっては人生の真理というよりは通俗的な道徳だなと感じるものもあるとは思います。

それでも、拾い読んでいると、心に残る一首、というものにたどり着ける本かなと思います。

 

個人的に気に入った歌をいくつか引用しておきます。

へつらはず おごることなく 争はず 欲をはなれて 義理をあんぜよ

「義理をあんぜよ」は、義理を大切に、という程度の意味のようです。

諂う事も奢る事もなく、そして他者と争わないようにいるためには、自分が力を付け自分に自信を持ち、常に求められる以上の価値を生み出していくことが必要になります。日々努力を続けるための心がけ、という感じですね。

 

幾度か 思ひ定めて かはるらむ 頼むまじきは 心なりけり

人の心が一番信頼できない、移ろいやすい、という歌です。

 

見む人の ためにはあらで 奥山に おのが誠を 咲く桜かな

桜は、見てくれる人がいるから咲くんじゃないんだよ。奥山に誰にも知れずひっそりと咲く桜も、自分が咲きたいから、咲くんだよ、という歌。今回読んだ中で、一番好きな歌です。

 

世の中は 人は知らねど 科あれば 我が身を責むる 我が心かな

自分が行ってしまった悪いこと、秘密の罪科は、誰に知られずとも、自分は知っている。悪いことをしてしまったら、どこかで誰かが必ず見ている、だって自分が見ているでしょ、と諌める歌です。

 

骨かくす 皮には誰も 迷ひけむ 美人といふも 皮のわざなり

顔立ちの美しい人に惑いがちだけど、その美人を作り出すのも所詮は皮膚の仕業ですよ。だから内面を大事にしましょうよ、という歌です。「皮」という表現に切り捨ててるケレン味の無さ、シャレの効いている感じが良いですね。

 

はるばると あだちが原へ ゆかずとも こころのうちに 鬼こもるなり

安達ケ原は、鬼の住処、と呼ばれている場所のようです。あえてそんなところに出向かなくても、鬼は人の心に住んでいるよ、という歌。

 

偉人というのは、市井に潜んでいる

radiko.jp

ラジオでライブを聴いてました。

さだまさしは歌の世界観は好きですがトークはそこまで好きではありません。

しかしたまに、聞いていてハッとさせられるような鋭い意見を言うことがあります。

2018年も最後、年越しの曲を歌う前のトークで語られた以下のような内容は、僕が最近もやもやしていたことを正確に切り取ったかのような発言でした。

偉人というのは、市井に潜んでいる。我々の隣に暮らしているんです。本当に偉大な人ってのはね。

僕らは、人間が偉大だという時に、うっかりするとね、有名だとか、お金持ちだとか、そんな事で人を測ってしまう。それはね、その人の「影」なんです。「影」を褒めても仕方がないんです。

本当に褒めるべきは、その人の「実体」。つまりね、光源、光の源の近いところに立てば、「影」は大きくなるんです。光から遠く離れているところに立っていれば、「影」は小さくなる。そんなところで測っちゃいけないんです。

私達は、もっともっと自分たちの姿を、もっとちゃんと自分たちで評価しなくちゃいけないと思います。 

 

「影」ではなく「実体」を見るべき、という言葉は、本当に心からその通りだなと思わせる発言でした。