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誰がアパレルを殺すのか

 

誰がアパレルを殺すのか

誰がアパレルを殺すのか

 

 発売直後に買って読みました。特に感想を書くまでも無いだろうというのが読後感だったのですが、私の想像以上にこの本は評価が高いようです。

 

僕の率直な印象としては、この本は作りが雑です。

この10年、成功したアパレル企業のスタイルについて丁寧に解説していないことが一番の理由です。端的に言うと SPA スタイルについてで、そこについての分析や掘り下げが無いのに、アパレル業界の栄枯盛衰について語れるワケがないだろう、という印象を持ちます。

なぜH&MやインディテックスZARA)や、日本国内ではユニクロが成功できたのか、そこに触れないと、アパレルの凋落についても解説できるようには思えません。

 

一例として、この本では、中国などの企業に商品の製造を委託し川上から川下への流れの一貫性を失っていることや、SC(ショッピングセンター)への依存などがアパレルの活力を低下させた理由であると書かれています。

そういう側面もあるだろうけど、じゃあユニクロはは自前で工場を持ってないとされ中国を中心とした下請け会社に委託し、販路としてはショッピングセンターに多数店舗を確保しているけれど、なぜ今のように莫大な利益を挙げられるのか、という話になります。

 

正直、ユニクロに真っ向から切り込んでいって訴訟騒ぎになった、以下の本のほうが、アパレル業界の実態をよく分析していると思います。  

ユニクロ帝国の光と影 (文春文庫)

ユニクロ帝国の光と影 (文春文庫)

 

 

今後の期待として取り上げられている新興企業も、たとえば TOKYO BASE は増収増益で悪い会社ではないでしょうけど、クオーターで数億円の売上高しかない企業をユニクロやスタートトゥデイ、既存のオンワードTSIホールディングスと並列で語るのも現時点では無理があろうかと思います。そういうアンバランスさがとても目立つ本です。

 

日経BPの本は、読者の無知に漬け込んで、アンバランスな構成だけどそこここに印象的な表現を入れて「それっぽい」 本に仕立ててくることが多い印象があります。

 

 

たそがれたかこ読了

最終話はだいぶ前に発表され、コミックスも一ヶ月前くらいに発売になっていたようですが、僕は最近読了しました。

 

 以前もブログに書いたのですが

moaikids.hateblo.jp

その時の印象と変わらず、このマンガは「勇気」をテーマにした作品だな、と感じました。ささやかな日常、そんな中でもついつい気持ちが後ろ向きになって我慢してしまったり自分を出せなかったり、そういう風に自分を押しつぶしてきた自分を、色々な人との出会いの中、ちょっとした「勇気」をだして変えていく。そんな作品。

 

あの「キモい」とされる告白のシーンも、控えめで自分を出せなかった自分との決別のシーンと捉えることもできます。

正直、あんなにマグマのように自分の気持ちを溜め込めずにもう少しみなが傷つかずにすむように発散できないのかなとも思ったりしますが、その不器用さと、不器用なのに「勇気」をもって告白まで踏み込んだたかこさんの気持ちは、とても素敵なものだと思います。

たかこさんが自分を出すようになるにつれ、周りの人たち、特に娘の一花ちゃんが明るくなっていくのが、この作品を見ていて一番ほっとする点です。周りの幸せは、自分がまず幸せになるところからしか産まれない、そう思うくらいのほうが皆幸せに過ごせるのだろうな、と思います。

 

僕も、周りの幸せを願うのであれば、自分が犠牲者のような面をせずに、自分が楽しみ、自分が信じる楽しくて幸せな未来に突き進む、そのために妥協したり尻込みしない、というような姿勢で生きていきたいな。なんて、この作品のたかこさんの姿を見て、感じたりします。

 

この作品は、僕も含め、何かしら心に弱いところ、もしくは自分を押し殺してきたことがある人に、とても力強い「勇気」のエールを与えてくれる作品だと思います。

TV ドラマとかにならなくても良いので、そういう作品を大事に思っている人たちの中で、暖かく語り継がれて行ってほしいなと思います。

潮騒

 

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 さだまさしのニューアルバム「惠百福」のなかで、フラッグシップ的な曲は盆踊り調の「たくさんのしあわせ」ですが、個人的に心に残った楽曲はアルバムの最後を飾る「潮騒」です。

 

さだまさしは、海、そして海に対峙する自分自身、という姿を歌のテーマに取り上げる事が多いですが、この「潮騒」もそういう楽曲の一つに分類できるように思えます。

過去の作品では「夕凪」「ひき潮」「黄昏迄」「青の季節」など。

 

「夕凪」や「ひき潮」は若者の孤独な心との対話、

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「黄昏迄」や「青の季節」は、亡くしてしまった大切な人への追憶、

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そんなものを海という存在に託した楽曲という感じがします。

 

ニューアルバムに含まれる「潮騒」は、どちらかというと自分の心との対話、そして昔の若い頃の楽曲とは異なり、自分の人生の終着点を意識した人間の立場で歌われた、人生への覚悟というか、人生の終わらせ方を感じさせる曲になっています。

 

「幸せを数えようとすると、一緒に不幸せまで数えてしまう」

だから、泣けるだけ泣き、笑うだけ笑う、そんな人生が良い、とこの歌では歌われます。

 

この「しあわせ」「ふしあわせ」の捉え方は、映画「解夏」の主題歌でもあった「たいせつなひと」でも歌われているように思えますが、より厳選された少ない言葉で、訥々とつぶやくように語られているのがこの「潮騒」という歌、という感じがします。

 

ある意味、人生においての飾りのような欲望を削ぎ押していったときに、このような境地に人間はたどり着けるものなのでしょうか。

自分のエゴというべき欲望の数々を脱ぎ去った世界に、今の自分が到達できるようにも思えませんし、通り過ぎるべき人生の懊悩を無視して無理してそのような世界に到達したフリをするべきものでも無いと思っています。

65歳のさだまさしがたどり着いたこの世界を、私が追体験することになるのは何十年後になるのでしょう。答えのない人生のひとつの回答例を提示され、自分なりの答えをさだまさしに宿題として出されたような気分です。

 

この曲は佳曲であるのは間違いないですが、テーマが重く、テレビで扱われることも無いでしょうし、そこまで多くの人に受け入れられるような曲では無いようにも思えます。おそらくさだまさしのコンサートに行かないような人には、そもそも耳に届けられることもない曲でしょう。

さだまさしは、そんな風に、世間に全然知られていないのに、人生についての深い洞察が含まれている楽曲が数多あります。そしてどのアルバムにも一曲以上はそういう曲が含まれています。

僕はさだまさしファンを自称していますが、あらためて過去の作品を聴き直してみると、今までの自分では理解できなかった世界観を歌っている佳曲の多さに驚きます。

 

たとえばこの「最期の夢」という曲も、人生の終着点について歌った歌です。人生の最期で、ひとつだけ望みが叶うならその時何を願うだろうか、その答えがその人の辿ってきた人生の意味である、という歌。

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この曲は十数年前の曲ですが、何年前の曲だろうと、聴き手が歩んできた人生の重さ軽さにあわせて、人がその人生のステージで感じるであろう感情や思いを先回りするかのように、さだまさしはたくさんの作品を残しています。そしてふと自分がその立場になったとき、ふっと寄り添ってくれるような曲が多いです。

本当にさだまさしは奥が深い。

そしてこの「潮騒」も、そんなさだまさしの奥深さを醸成する構成要素の一つとして、一部のファンに聴き継がれていくのかなと思います。

 

 

たくさんのしあわせ

 

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さだまさしのニューアルバムが発売になりました。

昨年から制作していたものの、なぞのシラミの盛り上がりや、永六輔さんのトリビュートアルバムなど他案件が建込み、さださんご本人の体調不良などもあって約2年ぶりのオリジナルアルバムとなったようです。

 

個人的にこのアルバムの中で衝撃を受けたのが、表題曲でもある「たくさんのしあわせ」。

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まさか、たしかに色々な秘策奇策を繰り広げてくるさだまさしとはいえ、盆踊りの歌を作ってくるとは思いませんでした。

 

しかし思い返して見ると、最近のコンサートツアーではどのツアーでも会場の人も巻き込んで歌って踊れる曲を披露していました。

「第二楽章」ツアーでは「豆腐が街にやってくる」

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「風の軌跡」ツアーでは「梁山泊」ならびに「問題作」

 

「月の歌」ツアーでは、「シラミ騒動第三楽章」

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そして、今回の「恵百福」ツアーで披露されているとうわさの「たくさんのしあわせ」

 

コンサートやアルバム制作の現場でさまざまな試行錯誤を経て、コンサート会場内にいるさだまさしファンの中心をなす60代以上の女性の方々が戸惑うことなく体を動かせる楽しい音楽を模索した結果、最終的に「盆踊り」というジャンルを探り当てたのでしょうか…。

 

とはいえ、僕も日本人として盆踊りのリズムが身に染み付いているのでしょうか。

何度も聴いていると、ついつい口ずさんでしまいそうな親しみやすいメロディと、「しあわせあげましょ」と語りかけるような温かみを感じる覚えやすい歌詞、僕も気がづいたらお風呂で吟唱していたりと、自然としあわせな気持ちになったりします。

 

盆踊りということで流行曲からはかなり外れますが、本当の意味で老若男女が口ずさみ、体を動かし、親しめる音楽というのはこういう音楽なのではないか、と思ったりします。

音楽としての完成度も高く、意外とこの曲はさだまさしのスマッシュヒットになる一曲ではないかと個人的には思っています。インスタなどを眺めているとテレビなどでの露出も増えそうです。

 

G    D

しあわせ  あげましょ

C/G         Bm

となりに まわしましょ

C/G            G

いつかまた ここへ

D7                         G

かえってくるでしょう

(原曲のキーは Capo 4 です)

 

カイゴメン

なんかこんな記事を見ましたが

headlines.yahoo.co.jp

様々な機会で男女平等になってきている世の中と、そうでない時代に生きてきた人たちの価値観が微妙にずれ始めているだけで、どちら側にも言いたい本音もあるでしょうし、片方の意見がちょっとさらけ出ただけのことを目くじらを立ててもしようが無い記事な気がしています。

 

個人的に思ったのは、この旦那さんは、おそらく世間では「イクメン」と呼ばれるのだろうな、ということです。

 

育児をしない男性をちょっとおだてて引っ張り出すための便宜上、この「イクメン」という言葉は良い言葉だなとは思っています。ただし言葉も考え方も普及した今、男女平等があたりまえで育児や家事を男性がやるのも当たり前、とした場合、抱っこひもで赤ちゃんを連れ出している程度のことをそこまで特別扱いしなくても良い気がしています。

女性もやりたいことや用事があるでしょうし、産褥期による体調不良や授乳など束縛される機会も多いのですから、家族を支える役割をパートナーが分担して行う事自体が論理的にも妥当なことで、事さらに取り上げるようなことでも無いと個人的には思っています。

 

とはいえイクメンという言葉を取り上げられはじめてから男の方もおだてられて頭にのっているのか、結構周りでも、「赤ちゃんをたまに沐浴させているから」「お風呂に入れているから」「おむつ替えているから」等々の理由で自分のことを「イクメン」と自称している人たちも多いですが、その程度で女性側の負担の何%が軽減されているのか疑問ですし、女性側も苦々しく思っているだろうなと個人的には感じています。

 

話は脱線しますが、僕は読書が好きで月十冊以上は確実に読むのですが、これは僕は単純に好きだから娯楽として読んでいるだけなのに、世間的には「読書をする人は勉強家」というステロタイプがあるためか「偉い」「真面目な人」というような捉え方をされることがたまにあります。

それと同様、育児についても、向いている人もいるし向いてない人もいるし、子供と接するのが楽しいと娯楽感覚で向き合っている人もいると思います。

政府や自治体など、国のグランドデザインを描く人たちはある程度の指針と方向性を決めて広告代理店も巻き込んである程度画一的なキャンペーンを行うのでしょうが、個々人の視点で言ったらもう少し世間のステロタイプから自由になって家族の中でもっとも最適な道を探るのが良いと思います。

僕は「イクメン」とか絶対に呼ばれたくないし自分でも言わないので、「子供好き」で押し通そうと思っています。

 

いずれにせよ、イクメンについては、この引用した記事のように「かわいそう」というような世間の反応はごく一部になり少なくなってきていて、世間的にも好意的な目で見られ始めてますが、一方、親などの介護については、以前までと一切イメージについて変わってきていないように感じます。

子供が生まれるように人は年老いていくのは必定で、家族というものを考えたときに避けては通れないプロセスですが、介護については相変わらず従事していると「かわいそう」としか思われず、特に男性が行っていると他人からは下に見られがちで、面と向かってバカにされることも少なくないですし、会社や周りからのサポートも無い、というのが実情だと思います。

 

こんな記事も最近見かけました。

zuuonline.com

要介護度次第なところもありますが、少なくとも僕の体験している限り、親の介護だけで毎月8万円程度はあっという間に飛んでいきます。平均とはなんなのか、なんでこんなに理解不足の記事が出てきてしまうのか、という感覚になります。

金銭的な負担も、物理的な拘束時間も、介護は子育てと同じかそれ以上求められます。しかし会社からのサポートは多くの会社で全く無いに等しく、介護休暇を申請したら「有給余ってるんだからそれ使え」と上司に強要されたり、そもそも就業規則にそういう事項が考慮されていないので取得が認められなかったり(とはいえ国の制度なので認めなければいけない)、結果として離職しか道が無い、という状況に多くの人を追い込んでいます。

 

ちなみに、「イクメン」でぐぐると400万件くらい記事がヒットする中、「カイゴメン」で検索するとその 1/100 くらいしかヒットしませんね。

介護を、「親のことが好きだから」「育ててくれた恩を」という単純な動機で従事し、そのことが過剰に評価されることもなく蔑まれることもなく、受け入れられるような世の中に、一日も早くなるとよいなと思っています。

 

利他的悪人と自利利他

最近、「利他的な悪人」というフレーズを見た記憶があり、どんな記事だったけと探したら以下の記事でした。

news.careerconnection.jp

これは、組織の中で顔色だけ伺って自己主張せずに、組織が悪い方向に向かっても見守るだけの「善人」の姿を良しとしないために、対義的に「悪人」という言葉を使っているのだと思います。

記事の主旨的に納得できるところもそれなりにあるのですが、「利他的な悪人」というように「たとえ周りに嫌われまくっても自分が正しいことを貫く人」という切り取り方をすると、思い込みや自己顕示欲が強い人のわがままを許容しがちになり、ちょっと危険かな、とも思います。

自分が考えていることを主張する際に、必ず敵を作らなくても良い気もします。理想としては。

 

個人的には、こういう概念を伝えるときは、「自利利他」という仏教用語を使うと良いように思えます。

改めて調べてみると最澄さんが残したとされる言葉らしいですね。

基本理念 - 自利利他

「自利とは利他をいふ」

比叡山を開いた最澄伝教大師の言葉と言われています。

「自利とは利他をいう」とは、利他を実践すればいつかは巡り巡って自分の利益になるというような考え方ではなく、「利他の実践がそのまま自分の幸せなのだ」という考え方です。

私流に言い換えると、他人に何か利する、幸せにするという行動以外に、意味のある行動は無い、という風に捉えています。

もちろん、この「他人」というスコープをどこまでの範囲とするのか、というところは非常に難しいところではありますが。

 

少なくとも会社においては、不特定多数の役になることを積み重ねていくことが自分のスキルアップにつながるし実績や経験にもつながる、と捉え、積極的に会社貢献をしていくことが自分にプラスになる、と考えるのが良いのではないかなと思います。

そのためには、日々の姿勢として、フリーライドして会社の威を借りるような行動や間違った方向に組織が行こうとしているときに声を上げないという行動は謹んでいく方が良いのは当然で、結果として先の記事の主旨にも寄り添うような結論になるように思えます。

 

 

全く余談ですが、自利利他の概念をよく表しているポップスの代表曲として、さだまさしの「道化師のソネット」があるように思います。

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笑ってよ君のために 笑ってよ僕のために 

 

クラッシャー上司

 

クラッシャー上司 平気で部下を追い詰める人たち (PHP新書)

クラッシャー上司 平気で部下を追い詰める人たち (PHP新書)

 

 組織の中でパワハラのような事を起こしてしまう人はどのような人たちなのか、考える上で非常に参考になる本でした。

 

「クラッシャー上司」という言葉を生み出したとされる筆者が、産業医の経験から組織の中でパワハラを起こしてしまいやすい人たちや、その組織のあり方などについて、実例を基に紹介をしている書籍です。

 

総論として、パワハラを行ってしまうような人たちにも精神的な未熟さや視野の狭さ、他人への共感心の不足などが挙げられていますが、基本的には組織におけるコンプライアンスの不足が根源にある、とまとめられていました。

 

個人の特性に話を移すと、概ね以下の二点を持つものが多い、と解説されています。

  • 自分は善であるという確信
  • 他人への共感性の欠如

どちらも、ひららたく言うと価値観が狭く視野狭窄な様を表しています。

パワハラを起こす人にも明確な悪意がある、というわけではなく、自分なりに組織にとって最善と思われる価値観を基に行動し、他者の意見を受け入れず邁進することによって結果としてパワハラ的な事が発生する、と事実を基にまとめられています。

概ね、こういうタイプの人が組織で許される理由は、その人自身が単体では非常に優秀で仕事ができるケースが多いようです。猛烈な成功体験があるのでおいそれとやリかたを変えないし、他者も成果が出ているのであまり口出しができない。そういう状況がパワハラといういびつな構造を生み出してしまう要因であるとされています。

 

ただすべての人がそういう人であるわけでもなく、本書では「薄っぺらなクラッシャー」と題されていますが、他者にそれほど根拠のない悪意をもって攻撃をするタイプの人についても触れられています。

こういう人が生まれる要因としては、本書では「嫉妬」が挙げられていました。事例として「C」という人が取り上げられています。彼は処世術でわたりあるき、実際のところ仕事はそれほどできないが、異様に権力欲と支配欲が強くて、その立場を脅かす人に対するパワハラを起こす、という人です。

いったいCは何のために働いているのだろうか。

仕事を通じて自己実現を図り、同僚や部下と一丸になって、会社を背負い、目標を達成する。そのような高邁な意識が、Cにはまったくない。

そのかわりに、自分自身が賞賛され、部下が自分を全面的に崇拝、自分が部下を完全に支配できると思えること、ちっぽけな全能感に満たされたいがために仕事をしているのだ。

したがって、年齢の近い「デキる」部下である課長Hは、自分の「全能」にとって邪魔な存在でしかない。いくら部下が謙虚で支援的であったとしても、それはむしろ自分の能力を貶めようとする行為にしか感じられない。被害感情が高じて、「ボクのことを見くびっているのかなあ」と言ってくる

このケースは、私もびっくりするくらい同じようなケースに遭遇したことがあり、非常に納得感があります。

私のケースも、会社にもあまり来ずに仕事もほとんどしない人が、それでもやたらと自分の事をすごい人だと思っていて、自分の言うとおり思う通りにならないと密室に呼び出して人を罵倒したり、露骨に人に嫌がらせをしたり、他人の仕事の業績を当然のように奪う人でした。そして、自分の日々の振る舞いが原因で組織の中で敬われない事を「名誉毀損」「誹謗中傷」「組織の輪を乱すやつが居る」「見下されている」と表現するような人でした。

その背景にある動機は、上記でほぼ完全に記述されているように思えます。常に自分が中心で、自分だけが偉くありたい、ということなのでしょう。

 

上記のように、実例をもとに納得感のある記述が多い本なのですが、この本が面白いなと思うのは、パワハラを行う上司側だけでなく、一見被害者側の人にも問題がある人が居ると書いていることです。迂闊にこのような事を書くと反発が大きいのかなとも思いますが、勇気をもって実情を明らかにしようとする姿には一定の敬意を感じます。

 

うつの中に、「未熟型うつ」というものがある、とこの本では書いています。一般的には「新型うつ」とか「現代型うつ」と呼ばれている病症を「未熟型うつ」と表現しているようです。

その理由は、未熟な精神性を持つ人が羅患しやすいから、ということのようです。ここまで言い切るのであれば、筆者に強い確信があるのでしょう。

例として、個人的な感情の起伏にまかせて働いている若者が、気に食わない上司に対して当てつけで罵詈雑言や陰口を言いまくり、同僚にも横柄で、それが故に組織の中で評価されないことが理由で徐々に働く意欲を失い、家に閉じこもり無断欠勤をする、というものが挙げられていました。

もう少し社会的に成熟していた人間であれば自分の心をコントロールし相手との関係性もコントロールしうまく取り持つところを、自分の感情を優先して行動をしてしまったが故にバツが悪くなり、それをうまく上塗りするために他人を攻撃したり自分中心の考え方で自分の正当性を主張したりするものの、だんだん精神的に追い込まれていく、ということのようです。

 

私も、相手がうつになるような状況まで追い込まれた事は見たことが無いですが、明らかに相手側の思い込みや勘違い、もしくは私には関係ない理由で発生した鬱憤した感情をもとにちょっと理解できない形で悪口を言われ続けたりしたことはあります。そしてそれは直接私に言うのではなく、SNS などで陰口をひたすら書き連ねるという形で行われます。

陰口になるのは、直接議論したら、自分の拙い意見や思い込みがまったく正当性が無いことが自分でもよくわかっているからでしょう。それでも直情的に「自分は正しい」と信じたいので、自分が正しいということを公平な評価が行われない場所でひたすら主張する、という行為になると思われます。

こういう精神状態は、ちょっと追い込まれると「現代型うつ」へとなってしまう危険があるようです。

私はこういう状況になってしまったときは、直接対話するのが一番かなと、そういう場を設けることが多いですが、自分自身の世界の中で盛り上がってロジックが組み立て上げられていて、その内容を他者と共有することができない人と意思疎通をすることは難しいな、と感じることも多いです。

意思疎通ができず、SNS でひたすら悪口を書くことが自己目的化していて止められないような人に対しては、もうやむを得ず人間としてコミュニケーションを断つ、という劇薬しかないケースもあります。

 

長々とまとまりなく書いてきましたが、この本を読んでいて思うところ。

パワハラをする側についても、未熟型うつになる人も、精神が未熟なのが理由である、とこの本では書かれていますが、じゃあ精神的に成熟するにはどうしたら良いのか、という視点が薄いと感じます。この部分について解決策や、その示唆みたいなものが無いと、結局個人の能力や自己責任に帰結してしまいがちに思えるので。

もちろん、精神的な部分については当書のページ数では手に余ったのであろうこともあり、表題の内容をわかりやすく提示することに成功していることは評価して良いと思います。