ルポ川崎
中国政府が公認する少数民族は56あるのですが、その中でも四川省や雲南省近辺を居住の地としている彝族(イ族)はオリエンタリズムと郷愁を感じさせる民族衣装が人気です。
イ族の居住地は観光地化されており、民族衣装を纏ったイ族の方々はたいへんフォトジェニックであり、観光地として中国人や海外の方にも人気のようです。
ただし、これは中国出身の方に聞いたのですが、実際は、民族衣装を着ている人はベトナム人の出稼ぎが多く、多くのイ族の人は他の地域の中国人と同じような文明的な生活を送っている、とのこと。聞いてみて、まあそりゃそうだろうとは思います。
観光客はバスで大挙して訪れ、珍獣の姿を楽しむかのようにイ族(の衣装を着たベトナム人)の姿を眺め、満足して帰っていくとのことです。
イ族のために、そういうステレオタイプのイメージづくりが行われ、結果として商売として成立し、それがために出稼ぎ労働者もやってきて、さらに経済が回る。
ちなみに、私は川崎市出身者です。川崎といっても北部地域(宮前区)の人間なので、この「ルポ川崎」という書籍で書かれている川崎区、とくに桜本あたりの住人ではありません。
それでも他の地域の人よりはこの本に描かれている場所については知っているように思えます。サイクリングで多摩川沿いをよく走りましたし、いわゆるピンク街的な箇所は卓球部の試合で川崎市体育館に出向く時のショートカットルートでした。
この「ルポ川崎」という本に出てくる人たちは、親がヤクザであったり、中卒で不良になったり売春的なことをしているような人たち、半グレのラッパーの人たちなどが登場してきます。以前話題になった多摩川河川敷での中学生殺人事件についても冒頭から取り上げられており、彼らの環境を取り巻く複雑な家庭事情も含めた、つまりそういう「我々一般人とは異なる人達」が生息している、ある意味ゲテモノ小屋的な味付けとして「川崎」という町が語られています。
まあ、そういう人が、数の多寡によらず存在するのは事実なのでしょう。それは川崎以外の街にも生息しているし、川崎にも生息しています。同様に、この本に登場するような人たちとは毛色の違う、どの日本の街にもいるような「普通」の人が川崎にも大多数居住しているのは言うまでも無いことです。
私の川崎出身の知り合い、友達にも、上記のような人たちは一人もいません。
別にそういう人たちと自分は違う、と差別・区別を積極的にしたいわけではないのですが、居ないのも事実です。大多数の川崎市民も、同じような感想を抱くのではないかと思います。
しかしそれでは本にならないしお金にならないので、せっかくあんな事件もあって注目されているのだから、2ch レベルのステレオタイプのイメージで物事を語ろう。
そういう、ステレオタイプ・先入観を前提とした決めつけ、誇張が、当書の冒頭から前半にかけてはありありと伝わってきます。読者をひきつけてなんぼの世界ですから、しようが無いのかなと思います。
後半にかけて、著者も川崎区南部の人たちと知り合いも増え、より川崎という街を正確に伝えようという意識に変わってきている様に見え、ステレオタイプの枠から外れた街の姿を多面的に伝えようという努力は見られます。
しかし、この本が、川崎への固定観念を増幅させて伝える以外の効用は、やはり特に無いように見えます。
以前、足立区で凄惨な殺人事件が起こった際、足立区の実情を誇張し「危険な街」という噂が独り歩きしたのを我々は眺めてきました。最近では福岡県の「修羅の街」というのもそのたぐいでしょう。
こういう噂話をコンテンツとして消費したりするのが大好きな人がいるのは理解します。
もちろん、事件が発生する背景には、それなりの環境やその地の力学的なものが働いた結果ではあると思いますし、何かしら特徴的な状況ではあるのだと思います。しかしそれは日々移ろうものですし、一つの重大事件があったからと言って住民皆がその犯罪者と同質というわけでは当然ながらありません。
読者の視点では、ある印象的な事件や出来事のイメージを誇張しネタに商売にしてお金稼ぎをしようとしている人たちの存在を忘れてはいけません。
イ族の民族衣装を着ているベトナム人の出稼ぎ労働者のように、かつて存在しかつ皆が信じているイメージを守るため、もしくはそれに依拠して、その土地の居住者のリアルとは乖離したステレオタイプを伝え続ける努力をしている人たちの存在を忘れてはいけません。
この「ルポ川崎」の本の中ではあまり触れられていませんでしたが、例えばいわゆるヘイトスピーチを行う人たち、そしてそのカウンターとして活動している人たち、両者いずれについても、僕は「居住者のリアル」とかけ離れたものを感じますし、居住者不在な状況になっているように思います。この感覚は、多くの人に同意してもらえるのではないかと思っています。
カッコウ時計
この本は時計の仕組みや進化の歴史をわかりやすく解説していてとても面白いです。
本書の中にはオフトピック的なコラム欄があるのですが、その中に「カッコウ時計がハトに変えられた理由」というものがありました。
もともと西洋で17世紀に作られた「カッコウ時計」は、昭和時代に日本に輸入された結果「鳩時計」に変化します。その理由はなぜなのか?ということについて書いたコラム。
ただ、説は各種あるらしく、以下のような内容が列挙されていました。
1. 日本の子どもたちにカッコウは馴染みが薄かったから
2. ハトは平和のシンボルだから
3. カッコウは托卵の習性がありイメージが悪いから
4. カッコウを漢字で書くと「閑古鳥」となりイメージが悪いから
おそらくいくつかの動機を元に鳩の方がイメージが良いし馴染みある鳥なのでということで時計の中の鳥を鳩に変える人たちが出てきて、それが結果として定着したということなのかなと思います。
とはいえもともとはカッコウ時計だったこともあってか、その声は「カッコウとハトの中間の鳴き声を意図して」作られているらしく、なかなか面白いエピソードだなと思ったりします。
約束の町
人と書いて 夢と書いて 儚いと読む夜があるんだ
(さだまさし「約束の町」)
僕はさだまさしの詩は好きですが、それほどトークは好きではないです。
ただ、コンサートに行くと以下のような事を話すことがあり、これは本当に感銘を受けます。
「少ないメンバーで少ない音で表現する、これは一人ひとりの演奏者が自分の音に責任を持つということで、けっして楽ではないんです。」
「これだけ長くコンサートをやってきて、今日何回目だっけ(スタッフの人に声をかけて)、ソロコンサートで42xx回目だそうです。それ以外にグレープ時代に400回やってますから、、まあそれくらい長くやっています。こんなに長くやっている理由は、もちろん借金をしたからでもあるけど(会場笑い)、あ、これはちょっと前に返したから安心して(笑い)。」
「長くやってるのは、やっぱり好きなんだな。そして、もっと上手になりたい。音楽を続けていく限り、少しでも昨日より上手になっていたいなと思います。もうこの歳になると、エスカレーターに逆向きに乗るようなものです。放っておくとどんどん後ろに下がっていってしまう。全力で駆け上がってやっと同じ高さにいられる。若い頃のように2倍の速さで前に進むことはできないから、どんなに頑張っても1.x倍くらい、ゆっくりづつしか前に進めないけど、それでも上手くなりたいなと思って今日も歌っています」
努力の結果、自分の理想に近づいたと思う時もあるし、やりきった結果ある程度の高みに達することも誰しもあると思います。
でも、儚いなと思うのは、自分でやりきったと思っても他の人が軽々と追い越していくこともあるし、ただの井の中の蛙であることもあるし、実際高みに達していたとしてもちょっとでも歩みを止めるとたどり着いたはずの場所から遠ざかってしまう。
歳を取るごとに、人生は単純な足し算ではなくなっていきます。
真面目に努力して積み重ねてきた人であればあるほど、以前身につけた能力や自然に備わっていた力が時間が経つに連れて失われていく儚さと直面することになります。
昔は何も考えずに新しいことに体当たりできていたのに、辛い思いをするんじゃないかとか、恥をかくんじゃないかとか、余計な心の澱が邪魔をして一歩足を踏み出せないことも多くなります。
自分が身につけたものを守ろうと思っても、歳を取るごとに様々な物を手に抱え、日常の忙しさに流されて撤退戦すらままなりません。
本当に人生は短くて、そのことを理解しているのに日常の些事に忙殺され、うまく生きていくという事すらとても叶わないなと感じる日々です。
僕みたいな凡人でも感じるような、こういう人生の儚さ。一生懸命生きている人ほど強く感じるのではないかと思います。
それでも、さだまさしのように、どんなに歳を取っても前に進むことを止めない先人がいることは、一筋の希望であり、道標になります。
遠いのは距離ですか それとも心ですか
本当に。自分がどこに進みたいと思っているのか、どこにたどり着きたいのか、かつて胸にいだいていた夢や希望を燃やすこともなくしまい続けていないか、そんな事を有耶無耶にせず、誰のせいにもせず、自分に責任をもって生きていかないといけないなと思います。
そして、出来る限り一歩でも、自分がなりたかった自分になれるよう、歩む。そんな生き方ができれば少しはこの人生にも意味が生まれてくるのかなと思ったりします。
誓うことはたやすいこと 叶わないのもよくある
ただ嘘にならないよう 走り続ける生命もある
ikzo ブーム後の名曲
ニコニコ動画で ikzo マッシュアップ動画が大流行してから、もう10年になるんですね。
僕もゼロ年代はこういう動画を面白おかしく見てました。
数年で流行は去ってしまいましたが、名もない有能Pの腕試しの場として今も機能してるのだなと、ブームが去った後に公開されたと思わしき動画を振り返ってみて感じました。
今までの研鑽やノウハウの蓄積があってか、最近の作品の方がスタイリッシュでよくできた作品が多い印象があります。
君の名は。も ikzo の餌食になってました。2016年以降ですね。
スタイリッシュでエモーショナルな RADWINPS のサウンドにも ikzo の合いの手は完璧にフィットしていて、相変わらずの汎用性を感じさせます。
サビは勢いだけで突き進んでいる感じがあります。
PPAP も餌食になってました。2016年の作品。
まあ勢いだけですね(笑)
曲は2016年発表ですね。
いくらサチモスがスタイリッシュを気取っても、日本的な合いの手のリズムの前には蹂躙されてしまう運命です。
「STAY TUNE in 農協 Friday night」というフレーズがシンクロしすぎていて悶絶しそうです。
「あの人は今」的な存在の江南スタイル。原曲は2012年ですね。
ikzo に侵食されすぎてもはや原曲がほとんど残ってない。正直僕みたいな凡人では及びつかない、大脳皮質に直接ドーパミンを注射で注入するようなトランス感を与えてくれる作品です。
「行くぜっ!怪盗少女」は2010年に発表された曲らしいので、僕がブーム時に見逃した曲かもしれません。
この曲がすごいのは、モノノフたちのコールを ikzo ラップで表現していること。単純に合いの手を入れてるだけでなく内容もシンクロしてて、凄まじい完成度を感じます。
原曲は2012年ころ。僕は本当にアニメ見ないので偽物語自体も西尾維新の原作は知ってましたがアニメ初めてみました。
個人的にはこの作品は、ikzo 作品の最高傑作の一つだと思っています。
「おら東京さ行くだ」のテンポを無理に変えずに原曲とほぼ同じノリでマッシュアップできているのでとても素敵だし、お互いの曲が合いの手を入れあってシンクロしているのは奇跡的です。この作品を見た後原曲を見ると、本当に物足りなく感じます。それだけお互いの掛け合いが自然です。
キャッシュレス
世界に比べて日本のキャッシュレス導入が遅れていると、方々で指摘されています。
個人的な話をすると、僕は日常生活で一部を除いてほぼキャッシュレスな生活をしているので、日本はインフラはそこそこ整っていて、ただ消費者マインドとして使用を手控えているのかなという印象を持ちます。
一部は、外食ですね。チェーン店とかではクレジット払いや電子マネーに対応しているところも多いですが、個人のお店などではほぼ現金のみの対応ところが多く、この部分だけは妥協して生活しています。
ニッセイの基礎研究所が昨年末にキャッシュレスについての特集記事を3回に分けて掲載していました。
この中で、消費者側の視点で、クレジットカードや電子マネーを使わずに現金を使う理由が「課題」として3点挙げられていました。
(1)「利用する機会や必要がないから」
現金で十分だという話と、個人の飲食店などを代表にクレジットカード決済に対応してない店がそこそこあるから、という理由が背景にあるのかなと思います。
現金と、クレジットカードや電子マネーが併用して使える環境だとした場合、基本的には消費者マインドの問題になり、経済合理性とは少し離れた話になるのかなと思います。
一般的によく言われていますが、クレジットカードや電子マネーはそれぞれ独自のポイント制度があり、消費をすればするほどポイントが貯まるため、クレジットカードや電子マネーが使える環境下であればそちらを使用したほうが金銭的メリットは大きいケースが多いです。
ニッセイの記事にもありましたが、
一方で、同じ調査において、クレジットカードを使用する理由として「ポイントを貯めるため」「支払い金額の大きさ」「手もちの現金額」「支払いの便利さ、早さ」も挙げられている。よって、クレジットカード決済に対して、ポイント等の経済利得だけではなく決済の利便性も重視されているようである。
金銭的メリット以外にも支払いが楽、という点もあり、キャッシュレス生活にしたほうが消費者にメリットになることが多いのではないかなと感じさせます。
(2)「使いすぎてしまうかもしれないから」
僕はこの点については懐疑的です。というか消費者の思い込みに依拠した話でしか無いなと思い、ちょっともったいない気がしています。
月に一回明細が送られてくるまで利用額がわからなかった数十年前はともかく、今はリアルタイムで Web 上から利用明細が確認できますし、マネーフォワードや Zaim などの資産管理・家計簿アプリを用いるとその月に使った額が日単位で網羅的に確認できます。
家計簿アプリを日常的に使っていると、クレジットカードや電子マネーで決済した方が漏れなく家計簿アプリに連動してくれて、支出が発生した時には丁寧に push 通知までしてくれます。なので支出の把握漏れがなくなるため、現金を用いているときよりも「使いすぎてしまうかもしれない」という不安がありません。
どちらかというと現金決済の方がアプリの登録忘れが発生しやすいので、毎月の予算と比べて今月どのくらい使っているか等の把握が難しくなり、結果としてお金を使いすぎてしまう不安を個人的には感じます。
もちろんそれら諸々の環境が整う前は、「クレジットカードに支払いを依存している人≒お金の管理がゆるい人」というイメージを私も抱いていましたが、今はどちらかというと、現金決済を優先している人に対して「お金の管理がゆるい人」というイメージを持ちます。
(3)「現金以外で支払うことに不安」「盗難や紛失にあうかもしれないから」
盗難という意味では、現金の方が盗まれやすいなと感じています。
クレジットカードの場合、番号が漏洩して他人に使われても、普段の購買パターンと異なる買い物が行われた場合クレジットカード会社から連絡が入り取引を止めてくれたりするので、個人的にはクレジットカードの方が安心感はあります。
以前、職場の人に財布を漁られ、カード番号を盗まれてECサイトで数十万円くらい購入された事がありましたが、即座にカード会社から異常検知した旨の連絡とカード停止の手続きをしてくれました。
でも、現金の場合、札を抜かれてしまうとその追跡は難しく、そういう意味で現金の方が盗難や紛失のリスクはずっと高いなと思います。
ただ、この記事でも書かれていたプライバシーという点では、確かにその不安は妥当なところもあるなと思います。
僕が今一番感じている現金の最大のメリットは「匿名性」だと思っています。現金決済する限り、基本的には「誰が」「誰に」お金を支払ったかという情報はキャッシュに直接紐づく形で保存されません。しかしクレジットカードや電子マネーの場合、そのお金の流れの情報は必ず保存され不可分になります。
ときには、何に使ったかを誰にも詮索されたくない商売行動もあったりしますし、そういう意味で「匿名性」を保った支払い方法というのは個人的にも残存してほしいなという思いもあります。
ただ、その匿名性が故に、莫大な地下経済マネーが発生している、という側面もあります。
日本「地下経済」白書(ノーカット版)―闇に蠢く23兆円の実態 (祥伝社黄金文庫)
- 作者: 門倉貴史
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ほぼタイトルだけの引用ですが、 10年前の試算で国の管轄外となっている経済活動が23兆円あるとされています。いろいろな手段があるのでしょうが、これらのやり取りの一つとして現金の手渡しで行われているとしたら、詳細なやりとりの特定も難度が高いでしょう。
モディ政権下のインドで高額紙幣を強制的に廃止したというニュースが昨年ありましたが、これもキャッシュレス社会へ強制的に移行することで地下経済の不透明な金銭のやり取りをなくしたいという政府の思惑があったようです。
国の為政者は税金の取りっぱぐれをなくしたいがために、どの国でもキャッシュレス化し電子的に決済情報を管理できるようにすることを望んでいるように見えます。かく言う日本も、一万円札などの高額紙幣を廃止するという動きがあるとかないとか。
個人的には、出来る限り世の中が便利になってほしいなとは思っているので、キャッシュレス社会が進んでいってくれると良いなという思いは、基本線としてあります。
ただしプライバシーについては、現金の匿名性に依拠しなくても良いよう、キャッシュレスな決済情報についてもより一層保証されるような国の制度と、それを保証する第三者機関などの整備が行われてほしいなと思っています。すべて国が監視し筒抜けな世の中というのも、とても生き辛く感じるので。
鉄道が変えた社寺参詣
鉄道が変えた社寺参詣―初詣は鉄道とともに生まれ育った (交通新聞社新書)
- 作者: 平山昇
- 出版社/メーカー: 交通新聞社
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年末年始はこちらの本を読んでいて、特に初詣に行くこともありませんでした。
交通新聞社という出版社は鉄道に関するとてもマニアックな書籍を何冊も出している優良出版社ですが、この本も鉄道の発展を軸に寺社仏閣への参詣のありかたの変化についてまとめられています。
この本で取り扱われている内容はほぼすべて「初詣」について。
初詣のような形で正月に社寺参詣をするのは伝統的な行事であると我々は思い込んでいますが、実際に初詣という単語が用いられたのは当書によると明治20年ころらしいです。
(初出は明治18年、川崎大師の正月参詣を表す語として用いられたもの、とのこと)
そのときに何があったかというと、明治以降の西洋化の一端として、鉄道会社の発展、そしてそれによる都市間移動の簡便化。江戸時代から東海道の脇にある有名社寺だった川崎大師も、当時は基本的には徒歩で通うしかなくそこまで気軽に出かけられるものではなかったようです。それが鉄道の開通により短時間(新橋-川崎間26分)で移動できるようになり、観光的な意味も含めて郊外の社寺への正月参詣が人気を集めるようになったようです。
そこで、各鉄道会社も、PR に力を入れ始めます。
江戸時代までは「恵方詣」と呼ばれる、その年の恵方の方角にある社寺に正月参詣するという習慣が一般的だったようです。しかし鉄道の普及により、各鉄道会社が恵方とは関係なく自社の沿線にある社寺参詣を PR するようになりました。そのこともあり「恵方によらず、正月に社寺に参詣する」という「初詣」の習慣が受け入れられるようになり、定着に至ったようです。
そして、初詣の普及には、鉄道会社同士の PR 合戦も大きな影響を与えたようです。
有名なのは、成田山新勝寺。現在はともに JR となっている成田鉄道(我孫子回り)と総武鉄道(千葉回り)で激しい顧客獲得競争を行い、列車の増便や、当時としては珍しい喫茶室付きの列車の導入など参詣客を取り込む施策を数々導入し、結果として人気も加熱していったようです。その他にも京成電鉄の参入など各社入り乱れての競争が行われました。
競争が激しくなれば、サービスも良くなり、その結果人気も出る、ということで、成田山新勝寺はその名残もあってか現代でも正月参詣客日本一を誇る神社となりました。これは、鉄道の発展と、その激しい PR 合戦が生み出したもの、と本書ではまとめられています。
感想として、我々が伝統と認識しているものも実はそこまでの歴史が無いものも多く、その当時の流行が様々な要因で定着したものが少なくないのだな、と感じます。
そして、一度定着してしまった習慣というのは、その本質的な意味や経緯などをあまり深く考えず、後世の人は従ってしまうものなんだな、ということも感じます。
これらは、初詣に関わらず、あらゆることで同じようなことが存在していそうです。
そういう意味でも、色々と示唆を与えてくれる書籍だな、と感じる年末年始でした。
Microsoft のリーダーシップ
Hit Refresh(ヒット リフレッシュ) マイクロソフト再興とテクノロジーの未来
- 作者: サティア・ナデラ,グレッグ・ショー、ジル・トレイシー・ニコルズ,ビル・ゲイツ
- 出版社/メーカー: 日経BP社
- 発売日: 2017/11/16
- メディア: 単行本
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Microsoft 現 CEO のナディア氏の自叙伝を読んでいます。
Microsoft は一部の人にとっては Office 製品をいまだに扱う IT 業界におけるオールドエコノミーの代表として侮蔑の気持ちも込めて語られることの多い会社ですが、クラウド事業やAR/VR(MR)での存在感も日に日に増し、日々変化が激しい IT 業界の中でも存在感をいまだ失わない稀有な存在でもあります。
その秘訣みたいなものを探る目的で読み始めたのですが、本の内容としてはナディア氏の生い立ちや、大企業化した組織をいかに立て直したか、という内容が主になっているように思います。
そのなかで、興味深かった内容が、Microsoft におけるリーダーシップの原則についての記述。
以前、Microsoft の人に軽くこの辺の話を聴いたことがあったのですが、あらためて並べてみると組織の中でのリーダーシップの取り方のベストプラクティスとして参考になることが多いな、と感じます。
第一に、一緒に働く人に明確な指針を与える。これは、リーダーが常に心がけるべき基本事項の一つだ。明確な指針を与えるには、複雑な集合体をまとめなければいけない。
それはつまり、数多くのノイズの中から真の信号を識別し、内部や外部のさまざまな声から一つのメッセージを紡ぎ出す、ということだ。
第二に、自分のチームだけでなく、会社全体に活力を生み出す。自分の部署に専念するだけでは不十分だ。リーダーは、よい時も悪い時も、楽観的な考えを広め、創造性を刺激し、熱意を分かち合い、成長を引き起こすように努めなければならない。
第三に、自ら行動し、成功を実現させる方法を見いだす。
「他人を成長させることが最も評価される」という組織は、性善説的にまとまれば互助作用的に皆で助け合える組織になりそうな気がしていて、数名のスーパーマンにより運営される組織よりも緊密な組織になりそうな気がします。
ただし能力があるスタンドプレイヤーが増えてくると価値観やモラルが崩壊するので、現実的に成り立たせることがどれくらい可能なのかは、なんとも言えません。
ただ、個人として、目指すべき方向として非常に理想的ではあるなと思い、今後の参考にしたいと思います。