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インターネットとヒッピー文化

なんかこんな記事があったので。

インターネットに革命を: Google, Facebookなどの強大企業の打倒を主張するFred Turner | TechCrunch Japan

Turnerが指摘する問題は、権威を逃れて自分のやりたいことをやるというヒッピーの思想が、自分たちを取り巻くものに対して無関心なGoogleFacebookのような企業を生み出した。そこで、サンフランシスコ市民の神経を逆撫でしたGoogleの通勤バスの問題や、ユーザのプライバシーに対するFacebookの無頓着が生じ、人びとはますます、シリコンバレーを不信の目で見るようになっている。

以下、思いつきで書くのでいい加減な内容になるけど。

 

「インターネットが民主的」と言われているのは、「少ない資本で(資本格差が無く)」、「コンピュータがあれば誰でも参加出来て(参入障壁が低く)」、「優れたプロダクトであれば世の中を変えられる(既得権益を壊すことができる)」といった理由からで、そういった世界に共感を覚え業界に参入してきたプレイヤーは基本的にはヒッピー的な、反政府・無政府的な思想を持つ人が多い気がします。そして力のある人は、今までの常識を顧みず、自分の考えや理念をテコに、世界の仕組みをHack出来てしまう。

 

だから、基本的には、インターネットの文化、それを支えてきたヒッピー文化は、世の中の「既存」の仕組みや考え方と衝突をする運命だし、その文化の中に身を投じようとしない人を救済する事は難しい。今覇権を握っているAppleGoogleAmazonは既存の枠組みと衝突し破壊する事で今の地位を築いているわけで。

個人に目を置いても、インターネットは真に「民主的」な存在に近く、その中では個人の能力格差が拡大する方向に働いている。誰でも参加できるので、力さえあれば、優秀な人はこれまで以上に凄まじい実績を残せるようになり、僕を含む平凡な人間との格差は今まで以上に広がっている。

でも僕はそれでいいんじゃないかと思う。家がお金持ちだったり既得権益を持っている人が未来永劫豊かでそれ以外の人は貧乏なまま、だけど安定している、って社会が良いか?っていったら、完全に「NO」だし。

 

Googleのような、国家を超えた化け物みたいな存在に対抗するのにも、ヒッピー的な取り組みでHackしていけばいいと思う。その文化を否定する必要は無いと思う。

 

すべての人を救済しようとするとしたり、今までの考え方や仕組みを保護しようとすると、国家的な統制が必要になり、それでは中国のような歪な形になってしまう。それは我々が積み上げてきたBest Practiceとは相反するもの。政府の力でインターネットを統制しようとする国は、基本的にはインターネット文化の中で淘汰される運命だし、そうならないといけないと思う。

 

結論として、上述の引用した記事を僕は否定するつもりは無いんですが(賛同する部分も多いですが)、その源流をヒッピー文化に求めてもしようが無いんじゃないかな、と思ったりしました。