SNSに毎日記事を書くということ
大事な友達に「お前は会社も違うし、何をやっているかわからない。音信不通になると不安になるから、何か足あとを残せ」と言われてから、ブログもしくはSNSで毎日他愛もない事を書くようになりました。その習慣はかれこれ10年近く続いています。
その経験から得られたものとして、自分を客観的に捉えることができるようになった気がします。自分が感じたり体験した事を相手に伝わるような形で文章にすることで、いろいろな物事を客観視することができるようになった気がします。
失ったものとして、そのコンテキストを理解しない人からは「キモい」としか思われないケースがあること。
コンテキストを理解していない人に情報を伝えるのはリスクが伴うもので、たとえば、写真の共有でも「なんで私を誘ってくれなかったの......」というような反応をもらうこともあるし、文章の共有でも「私の事を悪く言ってるの...」というふうにこちらからは予想だにしないリアクションを取られることもある。
SNSではないけれど、以前会社の日報で上司に対する提言という意味で意見を日報の中で述べたら、翌日全然意図しない同僚から「◯◯さんからそんな事言われて傷つきました」とか言われてしょげた事があります。
昔、安部公房の「箱男」という小説を読んで、人は自分の姿は隠しつつ相手の秘密を除きたいという根源的な欲求について理解をしました。なので、自分の(隠すほどでもない)プライベートや意見というのは垂れ流すのが良いかもしれないな、という考えもある程度はあります。
ただ、SNSによってその出し方は変えていったほうが良いかなとも感じています。