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南天群星


サザンオールスターズの「チョビ髭」紅白パフォーマンス、安倍首相批判と話題に

 

僕があまりサザンオールスターズを誠実な姿勢で音楽に取り組んでいる人たちとは思っていないこともあり、マイナスイメージからスタートしてしまうというバイアスを前提に書きます。

ピースとハイライト」は、言っちゃ悪いですが、この世代の人たちの安易な反戦思想(とりあえず「反戦」「反体制」と言っておけば俺たち格好良いよね、ラブアンドピース(笑)、から一歩も脱却してない思想)の焼き直しでしかなくて、音楽的にも思想的にもチャレンジが見えない作品だと思っています。こういう作品は、過去にも数えきれないくらい存在している。

なのに今あえてこの程度の作品が取り上げられるのは、音楽作品として水準が高いからではなく、周囲を取り巻く言論環境や政治環境など、コンテキストがそうさせているのでしょう。

 

本当に平和を愛し、音楽を愛するのであれば、音楽が政治的文脈や意特定の政治的意図を理由に取り上げられることに異を唱え、もしくは無視をし、音楽の観点から純粋に評価をし、音楽として純粋に愛する、といった姿勢の方が平和にては近い気がします。

だってこの曲、友達とのカラオケじゃ歌わないでしょ?カバーして路上で演奏したりしないでしょ?(目立ちたいとか、政治的な思想を持っている人にちやほやされたいとか、の理由以外で)。特定政治団体のPRとしてしか歌われそうにない歌、というのは、一般大衆にとっては基本的には関心の持てるものではありません。

 

「有名なミュージシャンが歌っているから」とか、「政治的な意味があるから」とか、そういう理由で取り上げられるのって権威主義の極みで、本来そういうのは音楽好きの人たちが最も忌み嫌う価値観な気がするんですけれどね。

井之頭五郎先生風に言うと「音楽を楽しむ時はね、誰にも邪魔されず 自由でなんというか救われてなきゃあダメなんだ...」みたいな感じでしょう。権威主義というのは、わかりやすく自由を奪います。

僕も、音楽好きの端くれとして、今回の騒動?は、騒動になった時点で非常に気持ちが悪いものを感じるし、心からこういう風潮を忌み嫌います。

 

僕たちは、このような歌がなくても、戦争などはしたくはありません。現体制が戦争への道に歩んでいるとも1ミリも思えません。思うのは、現体制の批判の材料として「現体制は戦争に向かっている」とレッテルを貼りたい勢力があり、彼らは彼らに利するものであればどのようなものでも捻じ曲げてでも利用する、という流れです。今までも当たり前のようにあった発言、風習ですらも、「戦争」に結びつけようとする人たちの存在です。

創りだした彼らがどの程度思慮が行き届いているかは別として、彼らはそういう勢力の格好の道具にされている感じですね。

こういう風な「音楽の政治利用」が最も戦争への近道と僕には思えます。そして、それを推進しているのは、すなわち声の大きな反体制の人たちだ、というのが僕の所感です。

僕は戦争は二度と起こしてはいけないと思うので、この曲を取り巻く政治的なあれこれに対しては、右であろうと左であろうと、すべて「shut up!!」と言いたいです。そして音楽に対しては良い音楽を聞いて純粋に感動をしたいです。