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第二楽章

さだまさしさんのコンサートツアーを聞きに行ってきました。

さだまさしのソロコンサートに参加するのは久しぶりで、還暦を過ぎた人がどの程度のパフォーマンスを発揮するのか、不安も多かったのですが、年齢を感じさせずにステージ狭しと飛び回る若さと、年齢を感じさせない圧倒的な声量には驚きでした。

若干滑舌が悪くなってきているのか、昔ならもう少し一息に短く歌い継いでいた歌詞を長め長めに発声したり、曲の合間にナレーション付きの映像をはさみ休憩をとったりと、多少年齢(さすがに還暦過ぎですから)を感じさせるところはありましたが、その辺は全体的な演出でカバーをしていました。

そうなると、40年以上歌い続けてきた円熟のテクニックは冴えまくり、全ての歌、それこそ40年歌い続けてきた「精霊流し」のような歌にも新しい息吹(イントロがバイオリンではなく混声合唱のアカペラにより静かに始まる。「倉田信雄渾身のアレンジ」。)が吹き込まれており、昔からのファンも新しい発見の多いコンサートだったことでしょう。

 

バンドの編成は以下のような感じでした。

ドラムスが居ないというのがかなり特徴的で、かつベースもウッドベース基調の曲が多く、激しく拍を刻むというより柔らかい音で包む音作りを指向されているのが特徴的でした。最近のさだまさしは先に述べたように歌詞を長く長く歌いつぐ歌い方になってきており、その結果さだまさしの声は深く柔らかく包むような声質になっており、その声を最大限に活かせる編成にしたのでは、というのが僕の想像です。

 

「第二楽章」。今までの人生は自分にとっての第一楽章で、これから、様々な「初期化」プロセスを経て自分とはなにかを探す旅が「第二楽章」という言葉で表現され、昨年発売されたアルバムや今回のコンサートツアーのタイトルにもなっています。

曲の合間に流された映像とナレーションは、さだまさし本人の決意表明といえるような内容でしたが、そういった構成以外にも、「初期化」のプロセスの一環なのか楽曲にも新たな手を加えられている曲が多いな、という印象を受けました。先に述べた「精霊流し」の他に、「案山子」のアレンジも新鮮で、いつもならギターの弾き語り風に演奏することが多いこの曲を、パーカッションの軽やかなリズムをベースとしていつもより明るさと軽やかさを増したアレンジにした、というのも特徴的でした。

個人的に一番心に残ったのが、アンコール前の最後の曲に選ばれた「黄昏迄」。軽やかなピアノのリフが特徴的な曲ですが、大枠のメロディは維持しつつもややゆっくりしたリズムで、低音を強調し、とても緩やかな流れを表現するようなアレンジになっていました。
間奏で披露されるエレキギターも、いつもであればここはエレキギターのテクニックを存分に披露する時間で、様々なテクニックを駆使した演奏が披露されることが多いのですが、今回の松原さんの演奏は1音1音を丁寧に長めに弾き、余計な音を極力排除するようなアレンジ。

「黄昏迄」という歌は、恋人を亡くした人が、海辺で犬とともに、海を眺めながら恋人との過去を回想し、ゆるやかでまどろんだ時間を過ごす、という曲です。今改めて思うと、この曲に過剰なアレンジやテクニックは不要。海を眺め物思いに浸る、という歌詞で表された状況・心境を表すには、今回のツアーで披露されたようなギターソロが非常にマッチしており、情景を鮮明にイメージができ、僕も思いがけず個人的な悲しい出来事を思い出し涙をこぼしてしまいました。

 

「黄昏迄」という曲に最適なアレンジ(と個人的には思っている)は今回の第二楽章ツアーでようやく披露され、この曲が発表されてから30年の年月を経て、数えきれない試行錯誤を経て、ようやくこの高みに達した、という事実に驚きます。

音楽は常に、人によって愛され繰り返されるごとに成長をし、変化していく、ということなのでしょう。

 

さだまさしは、還暦を過ぎ、デビュー40周年を経て、なおまだまだ人を驚かせ、そして感動させるような変化を提供してくれる、現役バリバリのミュージシャンであることを再認識した一夜でした。

 

<曲目>

  1. 残春
  2. さくらほろほろ
  3. 十三夜
  4. 茨の木
  5. 家路
  6. 精霊流し
  7. 案山子
  8. 北の国から
  9. 豆腐が街にやって来る
  10. 広島の空
  11. 長崎小夜曲
  12. たいせつなひと
  13. 黄昏迄
  14. 君は歌うことができる(アンコール)
  15. 風に立つライオン(アンコール)