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坊主憎けりゃ袈裟まで憎い

イスラーム国の衝撃』をようやく読了しました。

 

イスラーム国の衝撃 (文春新書)

イスラーム国の衝撃 (文春新書)

 

 内容は、真摯な学者・知識人による真摯な内容の本だな、という印象です。僕は専門家から程遠いので本書の内容がどの程度正鵠を得ているのかは分かりませんが。

 

本論とは少しそれたところで、以下の文章が印象的でした。

しかし日本には、イスラーム世界とも欧米とも異なる独自の「イスラーム」認識が有り、権威的にこの問題を論じる専門家や、日本の対外関係や近代世界の中での位置をめぐって、活発な議論を展開する思想家・知識人の言説を通じて、社会や政治に独特の影響を与えている。

 

「先鋭的」であることに存在意義を見出す論者は、しばしば「イスラーム」を理想化し、それを「アメリカ中心のグローバリズム」への正当な対抗勢力として、あるいは「西洋近代の限界」を超克するための代替肢として対置させる。「イスラーム」という語が、現代社会の解決不能な諸問題を、一言で解決する魔術的なパワーを秘めたものとして、テキストや現実の事象を踏まえずに用いられているのである。

 

そのような言論人の言説に導かれ、「イスラーム国」に身を投じる者が出てこないとも限らない。要するに、日本において「イスラーム」は「ラディカル」に現状超越を主張し、気に入らない社会やエスタブリッシュメント、そして体制そのものを勇ましく「全否定」してみせる「憑代」として一部で受け入れられてきたのである。

 

このような現状全否定のための思想として、かつては左翼イデオロギーがあった。新興宗教が勢いをもった時代もあった。しかし現在、それらの勢力の影響は下火になった。そこで、グローバルな反欧米運動としてのイスラーム教過激派の主張に現状超越論者たちの期待が集まっている。欧米コンプレックス、破壊・終末願望といった雑多なネガティブな感情のはけ口は、常に探し求められてきたが、現代では、それが「イスラーム」になりかけているのだろう。 

 

しかも、東側陣営の失墜が明らかになったことにより下火になった左翼イデオロギーとも、日本のローカルなカルトであるオウム真理教のような新興宗教とも異なり、グローバル・ジハードの思想は、世界宗教の教義の一部を援用した、ある種の「グローバル・スタンダード」である。そのため、より長期的に持続するだろうし、カルトと論難して弾圧すれば、広い範囲のイスラーム教徒から反発を招きかねない。無自覚に現存秩序の否定を唱導する知識人の、誤解に基づいた「ラディカル」な言説に煽られて、日本社会の片隅で不満や破壊運動を持て余した者たちが、過激派に一方的な思い入れを託して暴発する自体が、運悪く生じてくることもありうる。

こういう言説は、言論界のそれなりの大物に対する批判であり、筆者自身も攻撃の対象にさらされるリスクをおかしてでも語る、というのは、知識人としての誠実さを感じます。そして、筆者の懸念するような事が実際に当書の出版後に散見されているような気がします。

 

イスラム教について多くの日本人は詳しくないですが、その事に乗じて、イスラム教過激派の存在をたとえば「アンチ安倍」の材料として利用するのは、不理解な人、端的にいうと馬鹿を扇動し、自分が信じる主義主張(イスラムでは無い)への誘導をしようという、あざとい人間の醜さを感じます。

心の醜さがかいま見えるだけならいいのですが、実際に、重大な取り返しのつかない過失や損失が、こういう人たちの不思慮によって巻き起こされる事も、現実的にあり得るのが辛いですね.....

 

reference.


イスラム国の術中にハマった古賀茂明氏の「アイアムノットアベ(I am not ABE)」発言|西陣に住んでます