アイ

夢見る人

さだまさしのファンを自称している自分ですが、正直言って、僕は、2000年代になってから10年ほどほとんどさだまさし氏の曲は聴いていませんでした。

理由は、生み出す曲が明らかにクオリティが以前に比べて低くなり、これなら僕の思い出の中にある、全盛期の輝きを放つ姿を暖かく大事に守っていけばよいかな、と。(一部、「解夏」という映画の主題歌だった「たいせつなひと」など、佳曲と感じる曲はありました)

 

しかし、ここ数年のさだまさしは、新曲のクオリティも非常に高いものが多く、僕みたいな人間を刮目させるだけに十分な活躍をしています。

などと僕みたいな若輩者が書くことが非常に不遜な感じでは有るのですが、60歳を超えなお高いモチベーションを持ち、かつ生み出す作品が素晴らしいと、ただ賛辞しか生まれません。。

 

最近、「天皇の料理番」の主題歌としても用いられているこの「夢見る人」も、素晴らしい作品だなと感じた曲の一つです。

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若いころから「歌詞が素晴らしい」と形容されることの多いさだまさしですが、若いころは、目の前の情景・心景を多くの言葉、一般的でない古典由来の言葉や、ミステリアスさを演出しようとしてか説明不足な言葉なども含めて、多くの言葉を重ねて紡ごうとしており、その響きは耳慣れないうちは新鮮に響くこともありますが、若干ケレン味のある、これ見よがしに感じる言葉も含まれていることが多かったと思います。

(個人的には、「主人公」とかはそんな曲だと思ってます)

 

今のさだまさしは、そういったケレン味を捨て、最低限の言葉を厳選し、無駄の一切ない芸術的な完成度の歌詞を紡いでいます。

これだけ短い、一般的な言葉で世界観を完全に表現しようとする作業は、とてもむずかしい作業だと思います。技術的にもそうだし、気持ち的にも、一切の余計な「欲」「我」といったものを捨てていかなければいけない作業ですから。

そして、今の歳のさだまさしだからこそ作れる作品である、ということも言えるかもしれません。言葉に説得力をもたせようとすると、こういった老成した曲は若いころに作っても意外と受け入れられず、様々な意味で貫禄(実績、声質等々)を手に入れた今だからこそ、素直に受け入れられるというところもあります。

 

同じような意味で、この「残春」という曲も、非常に一字一句紡ぐ歌詞に無駄がなく、非常に老成した熟練の完成度を感じる曲です。

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本当に、最近のさだまさしは、新曲の中にも素晴らしいクオリティのものが多く、ぜひこういう落ちついた世界観が好きな方にはコンサートに参加してほしいなと思っています。