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少数民族

今日、少数民族の話題になりました。

 

中国において、観光の観点で少数民族といえば、云南の彝族(イ族)が有名です。イ族の事を知らない人も、民族衣装をまとった姿の写真を見ると既視感があるのではないでしょうか。

民族衣装 雲南 イ族 - Google 検索

昔、仲の良かった中国人の女友達(女朋友ではない)が観光に訪れた際にイ族の民族衣装を着たらしくその写真を送ってくれたりしたことがあります。斯様なくらいには、彝族の方々の生活様式は、諸外国だけではなく中国の人にとってもフォトジェニックな風景の一つとして捉えられているのでしょう。

 

しかし観光客向けに「普段は着ない」民族衣装を纏っている人たちの姿や、それを見るために観光バスで大挙して訪れ動物園の動物を見るかのように物珍しさだけを楽しむ観光客、そして商売のためだからと彝族でもなんでもない近隣のベトナム人を連れてきてバイトで服を着させるようなことも最近は横行しているらしい、と言った話を聞きました。

マイノリティである人たちの存在価値を失わない、文化を失わない、ということを考えた時に、マジョリティの人たちとの差異を極端にアピールし、その差を観光資源としてアピールすることをは生存戦略の一つなのかもしれません。それはそれで尊重すべきなのですが、何か心にひっかかるものはあります。

 

そんな話をしてくれた女の子が、こと新疆人のことについては「何を考えているかわからなくて怖い」ということを悪びれもせず話します。

新疆ウイグル地区出身の人たちの犯行と「されている」テロ事件が中国国内では頻繁に起こっています。最近では、タイで起こった無差別テロの犯人が新疆ウイグル地区出身であるという報道もあり、国内だけで済まない事態になっているのかもしれません。

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そこまでの話でなくても、北京などで出稼ぎをしている彼らは言葉がロシア語っぽく、普通话での会話がなかなか円滑にはいかないため、漢人との折り合いがあまり良くないという背景もあります。彼らの新疆人への印象は「何を考えているかわからなくて怖い」というふうになってしまうのも、理解はできなくはないです。

 

すべての人に人権と尊厳を、と願っても、どうしても数の論理が働いたり、相互コミュニケーションの難しさから軋轢が生まれたり、世の中で皆が手をつなぎ合って平和で過ごすことの難しさを改めて感じます。