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アイ

頭のなかで鳴り響く音楽

先月の生さだ(http://www.nhk.or.jp/masashi/)で、くも膜下出血で倒られて奇跡的に生還したものの記憶障害と言語障害の後遺症が残った女性の綴った、直筆の手紙が紹介されていました。

その背景を伝えずに唐突に読み上げられた手紙の内容は、論理的な整合性がなく、表現も幼く、聞くものを不安にさせるものでした。しかし突然に変化してしまった自分の体に戸惑うその心境を隠すこともせず、本当に伝えたい「心」を言葉としてうまく伝えることができなくなったその体で、それでも一生懸命さだまさし、そして周囲の人たちに対しての感謝を伝える手紙には、本当に心を打たれました。

 

くも膜下出血のあとの後遺症で記憶と言葉を司る機能に大きなダメージを負ったあと、不意のタイミングでかつて元気な頃に大好きだったさだまさしの歌が頭のなかに流れてきた、とは、その手紙の差出人の旦那さんの手紙での言。その後、言語療法士の介助によるリハビリを繰り返すことにより、まだ言葉は不十分だけれど、手紙を書く事ができるまで回復したようです。

その方の頭のなかに流れてきたという曲は、「片恋」。

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こんなに恋しくても

届かない心がある

こんなに苦しくても

言えない言葉がある

ときめいて あこがれて

聞こえない声で叫んでいる

あなたに届け いつかいつの日か

あなたに届け せめてそのかけらでも 

この女性は、「言葉」という意味で、この歌の歌詞の意味をどれだけ理解しているか、理解する力を回復しているかどうかは、正直微妙だと思います。しかし、この曲とともに植え付けられた深層心理、心の奥底の感情、そしてそれを伝えたい人に対する感謝の気持ち、そういったものは非常にクリアに、そのまま、もしくはその時以上の強い感情として、心の中に残されているのだと思います。

 

僕も父が脳卒中で倒れ、おそらくこの女性よりも遥かに重い症状を抱えています。しかし、言葉を司る事ができなくなって、健常者である我々と意思疎通が十分にできなくなっても、心までは失ったわけではなく、今ままで経験してきた良いこと悪いこと辛いことすべてひっくるめての人生までもが失われたわけではない、ということはよく感じています。もしくは、家族として、最後まで信じ続けてあげなければいけないのだと思っています。

 

父は、おそらく子供の頃に親しんだ童謡が心に深く残っているのでしょう。最近家に戻り、童謡集をかけてあげると、真剣に耳を傾けます。

とくに父のお気に入りは「ふるさと」

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大家族の中、悪く言うと口減らしのため中学を卒業後家を出て故郷を離れて働きに出ることになった父にとって、この曲はどのような意味を持ち、どのような思いを抱きながら心にしまっていたのか、今は「言葉」として伝えてもらうことはできません。

そっと、その心の根を汲むように、ささやかに時間を共にするのみです。