アイ

裏の顔と表の顔

昔僕が在籍していた会社の同僚、どちらかというと戦友と言うべき人間の、匿名記事ではあるがその人だと思われる、良からぬ醜聞を最近目にしました。

正直、彼ならやってもおかしくないな、というのが素直な感想です。

以前、僕が一緒に働いていた時にも同じようなことがあり、その辺の空気感をそれなりに敏感に察知して止めに入ればよかったのだけれど当人間の問題だし、と放置していたら、結果相手の方は精神病み気味になってしまったことがあります。

その戦友の人と、その直後、事実経過について会議室で話をしたことを、今でもよく覚えています。もちろんその場では直接的な言及はなかったですが。

なので、今回の件も、どうしてもその過去の連想から、やってもおかしくないな、とは思います。

 

しかし人として見た場合、彼は非常に好青年であり、聡明で、ウィットにも富んでいて、初見ファンを多く集められそうな魅力を持っている人です。

偏見を持ってしまうような情報を持ってないかぎり、100人中100人が「良い人」と形容しそうな人です。

今回聴いた醜聞にあるような裏側の顔を持っているとして、その行使先はすべての人に対してでなく、かつ僕に対してはその裏の顔は見せることは無いであろうこともあり、今回の醜聞にあるようなことを1%も肯定する立場ではないですがそのことを肌感覚で実感するのも、僕にとっては難しく感じます。

どうしても「好青年である」という印象を、事実をもってしても僕の中では覆すことはできません。

 

人間、表の顔、裏の顔と形容したりしますが、人間はそんな二面的な単純なものではなく、それはプリズムのように、観察者の光によっていかようにでも光が乱反射し多様な形状、色を見せるものだと思います。

僕の見る顔と、他の人が見る顔、それが異なるのも当たり前な話ではあります。

僕は出来る限り本質を捉えつつも、観察者として他者を出来る限りポジティブに見るように努力したいとは思っていますが、だからこそ他の人にとっての印象とは異なるケースもあるでしょうし、ある意味見誤ることもあるのだろうな、とは思います。もちろん、そこまで客観視して一般化することが、すべてにおいて正しい姿でも無いです。

 

僕は、他人からどう見えているんでしょうか?

などと書いていますが、僕自身は、そういうところへの興味関心が薄く、結果として自分自身を飾る、良く見せようと思うベクトルが非常に薄い人間だと思います。

なので周りからの評価を気にせず、期待せず、自分のやりたいように行動し、見返りは求めない、みたいな。その結果他人に対して冷淡な印象も与えますし、淡白な人間にも見えますし、その逆に誠実な人間にも見られたりします(言葉として伝えられた実績値)

その結果をうけて、僕自身は裏表のギャップが非常に非常に少ない人間の一人だと思っています。もちろんその評価も人によって異なるでしょうし、僕が「好青年」と評価されることは皆無だと思っています。

 

その程度には、人間というものの評価というのは、難しいのだろうな、と思ったりしました。