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検察側の証人

はっきりした物言いで、自分の価値観でバッサバッサなで斬りするように物事に切り込んでいく人を、傍観者はある種の爽快感と妬みで眺めます。

曰く「言いたいことを言ってくれて、ありがとうございます」

曰く「それだけ好き勝手に言うと、さぞストレス解消には良いんでしょうね」

 

しかし、多少の想像力があればわかることですが、大多数の人があえて口にしないことをあえて切り込んで言う、ということは、本当にストレスフルな作業です。

誰かを斬りつけるような発言をしなければいけないとき、その斬られた人がどんな風に思うか、どんな反応をするか、そんなことを考えて逡巡します。それでも、何かを守るためにも、言わなければいけない時はやはり言う。組織であったり、親しい人であったり、斬りかかるその相手であったり。

それでも、斬りつけていったその結果を後悔し続けることも、ままあります。

 

もちろん、中には、自分のことだけを考え、ひたすら自分が言いたいことを言うだけの人もいます。でもそういう人は基本的には孤立していきます。

まわりのことを考え、その結果、言わなければいけないことをはっきりいう人、そういう人の周りには、自然と人が集まってきます。

そして、後者のような人は、ストレスを感じ、抱えながら、周りの皆の気持ちを考えたえうえで、あえて斬りこんでいっている。そのことを周りの人たちも慮ってあげると良いんじゃないか。

そんなことを考えたりしました。

 

しかし、まあ、世の中には、表向きは当たり障りの無いことしか言わず、当たり障りある事を言う責任を回避し、裏側では非常に独善的にわがままに振舞っている人もいますし、

人当たりがよく、いつもニコニコしているけれど、一皮むくと本当に自己愛しかなくて自分のことしか考えていない人もいます。

かと思うと、普段は自己主張しないのに、本当に言わなければいけない事があるときにはびっくりするくらい毅然として正論、守るべき筋道を述べる人も居る。

 

本当に人間はさまざまで、いろいろな人が織りなす様相を良い/悪いで単純には表すことができないな、といつも思います。

 

こんなことを考えていて、思い出す曲は、さだまさしの「検察側の証人」というマイナーな曲。

タイトルは意味不明ではあるがアガサ・クリスティの代表作から取られているけれど、内容は芥川龍之介の「藪の中」的な視点で、男女の恋愛関係を観察した曲です。

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恋はいつでも必ず 諸刃の剣と同じ

傷つかない方がきっと 嘘をついてる

斬りつけていった方が 斬りつけられた方より

傷つく事だってあるはずよ