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ジャイアンにならないために、もしくはジャイアンになるために

独裁者、強権者、というと「ジャイアン」をイメージしてしまいますが、実際の漫画の中のジャイアンは、空き地の広場では強権者として振舞っているけれど、勉強の出来は悪くて学校では小さくなってるし、家ではお母さんには一切逆らえないし、その強権の届く範囲はあくまで一部で、かつ他の領域では他に逆らえない絶対者がいたりします。

 

ドラえもん、というか藤子・F・不二雄さんは、作品評としてよく言われていることですが、あえて意識的に「行き過ぎた権力」が登場しないように、ある意味教育的に、ある意味寓話的に、漫画の世界観を描いていたように思えます。

翻って現実世界を眺めてみるとそのようなバランスが取れていることばかりではなく、特定の領域で何かしらの理由で何かしらの力を掴んでしまった人は、概ね以下の2つの轍を踏んでしまうような気がしています。

 

1. 自分が力を発揮出来る領域に固執し、その事しか行わなくなる。

2. 結果、考え方が固執し、自分を守るために、自分が有利になるような発想、思想しか持たない、認めない、コチコチの考え方の人間になる。

 

こういう状況が発生しても、それを「おかしいよ」といえる、ドラえもん、もしくは藤子・F・不二雄先生的な立ち位置の存在が現世にはなかなか現れないので、多数の人が不幸になりがちな環境が生まれてしまいます。

この辺の話について、具体例を書くつもりは無いのですが、じゃあ、自分がそういうような人間に「ならない」ためにどうすればよいか。

 

個人的には

1. 何歳になっても、自分が未経験、未習熟な領域にチャレンジする。

2. 何歳になっても、ある特定の分野では初心者であり、道化・嘲笑の対象になってしまうことを許容する。というか世の中とはそういうものである、という事を理解する。

ということがとても大事なのではないかと思います。

 

いろいろな事に身ひとつで飛び込んで体験することで、今まで気づかなかった価値観に出会えたり、それにより今まで気づかなかった自分に気づいたりします。

そして、誰しも得意分野も不得意分野もあり、それはその人の環境や能力、気持ちの持ち方により生み出されたもので人様々であり、そういう違いを理解することこそが相手を理解することなのだと気づきます。

 

もちろん、世の中には、自分を守るために自分が得意なことしか行わないコチコチおじさんがたくさんいますが、僕個人の視点では、そういう人は少し損をしているように見えます。プライドが邪魔して新しいことへのチャレンジも難しいかもしれないし、人生の楽しさを享受しきれてない気もしたり。

 

といっても、新しいことにチャレンジするのはエネルギーが居ることで、歳を重ねるごとに日常に疲れてそのエネルギーを失っていきがちなのも事実で、とはいえ人生は短いので、自戒を込めて僕も日々を見つめて行きたいなと思います。