読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

アイ

結婚観

僕は、両親が僕が高校の時に離婚したこともあり、結婚に対する幻想というものはなくなっています。

親とその背後にある家の、ある意味しようも無いプライドの張り合いや感情の掛け違いで、子どもの人生と性格が大きく変わってしまうことも把握しているつもりです。

そんな思いをする、もしくはさせるくらいなら、結婚なんかしなくて良い、というのが基本的なスタンスです。逆の視点で、結婚というものに対しての覚悟というのは普通の人以上に心理的なプレッシャーとして存在します。

 

同世代に結婚をする人が増えてきて、いろいろな人の話を聞いていると、8割方、結婚に対して幻滅するような話を聞くことが多いです。

奥さんがいて、子どももいるのに、風俗通いばかりしたり、独身女性の心のスキ間を狙いすまして明らかに不倫と思わしき行動をとったり、同僚をレイプしたことを自慢話として話す人も居たりします。

「バレなければ良い」と居直り、パートナーが居る状態で他の人に手を出すことを「武勇伝」としか考えていない人が居ます。

「将来の夢は」と聞いて、「50歳くらいになったらフィリピンあたりで若い女性を買って仲良く暮らしたい」といった、ちょっと想像できないくらい小市民的で夢の無い話を聞いたりします。

 

僕が生真面目過ぎるのかもしれないですが、内面の誠実さを人生のテーマの一つにしている僕としては、到底受け入れられない話です。

もちろん、自分が聖人君子の立ち位置に逃げて高見の見物をしたい、というわけでは決してなく、僕には受け入れられない、というだけの話です。

 

そんななかで、どうやって結婚というものに対して希望を持てば良いのか、最近よく悩むようになりました。

ひとつの希望は、子ども。子どもについて語る時に、(上述のような一部の人を除いて)皆とても幸せそうに語る姿を見るのは、ひとつの希望です。

もうひとつは、やはり「一緒にいたい」と思う人に出会えるかどうか、というのが大きいのだろうな、と思います。

 

僕は、特に女性に対して、他の人より猜疑心が強いと思います。打算から導き出される見た目美麗な言葉に対しては免疫が出来てしまった気もしますが、基本的にはそういうような言動を耳にした時点で心が冷めてしまいます。よく出来たお世辞、タイミングだけ取り繕った表面的な言葉、そういう言葉は、意外と見分けがつくものです。

もちろん、生きるために打算というものは誰しも産まれるもので、すべてを否定するわけではないです。

 

逆に、自分を飾る事が上手でない人、ある意味単純だけど自分の心根にあることしか表現出来ない人、自分の心を語るのは苦手だけれど他人には優しく出来てしまうある意味不器用な人、打算や欲望をうまくオブラートに包もうとして包めない人、そういう人と一緒にいると、とても心がやすらぎ、安心感を得ることができます。

飾ることも嘘をつくことも出来るけれどその道を歩まなかった人、そもそも健やかな環境で生まれ育ちそういう考え方にならずに生きてこれた人、道程は人それぞれだと思いますが。

結論として、目の前のちょっとした利益を得るために、自分の心に対して嘘をつかない人、嘘をつけない人、そんな人と出会えるのであれば、僕ももう少し安らかな気持ちで生きていけるのかもしれません。

 

それが、僕の結婚に対しての、一筋の希望です。

そして、万が一そういう人に出会えた時に、自ら課した誠実さで、果たしてその人を幸せにできるのか、それが新たな自分に対する問いになるのだと思います。