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アイ

貧困について

netgeek.biz

 

上記の件についてネット上で大炎上していますね。

僕も決して裕福な家で育ったわけではないので、10代の頃の葛藤がフラッシュバックするようで、心がざわついてしまう一件ではあります。

僕が、伝え聞く彼女の置かれた環境を自分なりに咀嚼すると、以下のような感じ。正しいかどうかはわかりません。

  • 母子家庭であり、高校生からアルバイトをしている環境であり、普通の高校生に比べると裕福な生活をしているとはぜったいに言えない。
  • 一方、行政が放っておいたら餓死をするような困窮状態ではなさそうに見える。世間的に「貧困なのかどうか」というところで議論になるのはこのことによると思う (貧困のあるべき定義の話はここではしない)
  • 実際どんなバイトをしているかはよくわからないが...、購入するものは大人でも躊躇してしまうような高額なものである。Exileのチケットとか、裕福なお婆様世代を対象にしているさだまさしのチケットより高い...。
  • ただし、「あれだけ散財しているのにパソコンも買えないのか?」というのは、時系列を錯誤している。パソコンのエピソードは中学時代で、その頃は普通にはアルバイトが出来ない。もしその時期からアルバイトをして稼いでいるのであれば「苦学生」「貧困」と形容されても妥当であり、子どもをそのような苛烈な環境に置くべきではない
  • 自分の家にお金が無い、お金持ちの子どもではない、という劣等感がどうしても件の女子高生の根底にはあるのではないか。だから、目の前の散財をすることで多少なりとも欲求の充足を図り、プライドを満たしていたのではないか。個人的には、そのような心理は理解でき、叩き過ぎるべきではない気がしている。
  • ただし、目の前の事に注力しすぎ、将来展望を描くような長期的な投資が出来る状況ではないのだろう。それは家の貧しさもあるかもしれないし、長期的な夢を描くための努力(貯蓄や、勉強)をしていないだけかもしれない。おそらく彼女の周りにそのようなアドバイスや、サポートをする人もいないのだろう
  • 上記のような環境を踏まえ、彼女が市民団体を通して行ったとされる行為は、自分のプライドを満たすだけの行為に見え、必ずしも多くの人の賛同と共感を呼ぶとは個人的には思わない。

件の女子高生は、相対的に貧しいのは事実だと思います。しかしそれだけを以って自身の主張を共感を以って受け止められないのは、不特定多数の人に受け止められるようなストーリーを彼女自身が紡げなかったから、ということなのかな、と思います。もちろんそのような賢さを10代の若者に求めるのも酷な話かもしれません。

 

「家庭の経済状況によって、進学の選択肢が狭まる」というのはその通りだと思います。

一般的に、家庭の所得と子どもの学力・学歴は比例すると言われています。

cfc.or.jp

多額な準備金(入学金など)が必要な選択肢を諦めざるを得ないこと、公立学校など公的な教育機関の相対的なレベル低下により塾などに通えない人の学力が通える人を下回ること、所得が低い人は教育への関心が低いことが多くそれが故に教育の価値を感じられないこと。などなど。

 

しかし、とはいえ、その道を進むに足る実力が無い人を、「貧しいから」と救済することは、意味があることなのかは個人的には疑問です。

たとえば医学部に入学したいが資金的困窮が故に断念をせざるを得ない人を救済する際、「ただ貧困である」人を救済するのではなく、「貧困でありがながら、学業が大変優秀な人」を救済することになると思います。そうでないと環境によらず努力をして積み重ねた人に対して不公平であるし、社会的責務を担うためにはやはり厳しいですが「実力」を評価されるべきだからです。

「貧困である」から救済されるべきなのではなく、能力がある人が「貧困」を理由で断念をしなくて済むようなサポートが大事なのだと思います。

 

件の女子高生に対してあまり共感できないのは、「自分の夢のために相応の努力をしたようには見えない」ということです。

家にお金が無いのであれば、何かを我慢してでも夢をつかむために努力をし投資をすべきで、お金持ちの子と同じようにもしくはそれ以上に趣味に散財している時点で、ある意味負け戦、夢をつかむことを放棄しているようにみえる。厳しいですが、個人的にはそういう風にしか見えません。

彼女はアニメーターを養成する学校に通いたいようですが、 twitter や pixiv で拝見した絵は基礎的なパースが取れてなかったりと素人の趣味レベルにしか見えませんでした。趣味で終わらせるつもりなのであればそれが悪いとは言いませんが、本当にその道を志すのであれば努力をもっとすべきなように見えます。絵の実力をあげる努力をし、それをネット上でアピールし、支援を勝ち取る、という道だってあるはずです(もちろん相当に困難な道ではあります)

件の女子高生が社会の同情を買うことができなかったのも、そういう努力の跡、真っ直ぐさの影があまり見て取れず、ただ貧困をアピールし、貧困であることにだけ問題を押し付けてすり替えていることが、多くの人に伝わってしまったからだと思っています。

 

しかし、個人的に強く思うのは、

子どもの貧困、というテーマについて、個人的には、今回のような炎上案件を通じて世間的な関心がスポイルされてしまい、「貧困と主張している人がいるけど、実は大したことないんじゃない」「結局は自己責任なんじゃない」という風潮が蔓延することを、個人的には懸念しています。

件の女子高生以上に、本当に追い込まれている子どもが年々増えて生きているのは、さまざまな文献、記事等で目にするところではあるので。

 

 

子どもの貧困連鎖 (新潮文庫)

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女性たちの貧困 “新たな連鎖

女性たちの貧困 “新たな連鎖"の衝撃

 

 

この件の周辺の大人の騒がしさが本当に見苦しいなと思うのも、心をざわつかせるには十分な状況です。

この事についてはあまりここでは書かないですが、片山さつきの言動もアレですが、それを過剰にヒステリックに取り上げて「鬼の首をとった」的な振る舞いをする人も、結局は大事なのは「子どもの貧困」ではなくてそれ以外の何かなんだろうな、と暗澹とした気持ちにさせてくれます。

www.huffingtonpost.jp 

貧困ビジネス (幻冬舎新書)

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