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アイ

知的であること

相手のことを「あ、この人は知的な人だな」と思うケースと思わないケースがありますが、何がそれを左右しているのかなと考えると、自分の中では概ね以下のようなことに落ち着きました。

 

「自分の経験・体験したことや、自分の価値観を軸にしか話せない」人に対しては「知的でない」という印象をいだきやすい。

 

「自分が経験したことの無い価値観に接しても色々な手を使ってそれを理解しようとする」人に対して「知的な人」という印象をいだきやすい。

 

しかし、改めて考えてみると、後者のような人間は「分別がある」だけで、誰しもそれなりの社会経験・人生経験を積むと自分とは考え方も生い立ちも文化も違う人が沢山いることに直面し、自分と異なるものへの興味関心をもったりコミュニケーションを円滑にするために相互理解に努めたりするのは当たり前の事のような気もしています。

前者のような感じの人も、芸能人だと田嶋陽子などがこのタイプの典型な気がしますが、得体のしれぬブルドーザーのような破壊力と突進力を持っていて憎めない人も中には居る気もします。

 

上記は主体を相手側においていますが、自分を主体として考えた時、人間は知的好奇心を持つ生き物なので、自分にとって新しい知識や観点を提示してくれる人と出会った時に「この人は知的だな」と思うことが多いと思います。

その人は持ちネタ的に何度も何度も繰り返し同じことだけを話していても、一期一会的に自分が初めてその人と接して、その内容が自分自身の知的好奇心を満たす面白さをもっていたら「知的だな」と思いそうです。

 

そして、あらかじめ持ちネタとして何度も何度も同じような話をする人の方が、ネタとしてこなれてスムーズによどみ無く話すことができるでしょうから、その流麗さから「知的」という印象を持つかもしれません。

初見の事に対しても深い洞察を試みようとする人は瞬間的には言い淀んだり話の筋が行ったり来たりしてしまうこともあり、本当は知的な取り組みをしているにも限らず「こいつ頭悪いな」という印象をもったりすることもあると思います。

 

なので、自分の感情を起点とした印象論にしかなりえないので、このような事はあまり気にしすぎない方が良いのかなという気もします。

 

いずれにせよ、先入観や、上記のような人をラベリングするためのメソッドや方法論をしっかり持っている人ほど、人を良い意味でも悪い意味でも偏見を以って見ることになりがちで、 常に相手に対して初心で、フラットな状況で接する事ができるよう、「あまり気にしすぎない」ということもとても大事な姿勢なような気がします。