「遙かなるクリスマス」とピエロとしてのさだまさし
久しぶりに生でさだまさしの歌をコンサートで聴いてきましたが、この「遙かなるクリスマス」という歌は、今の「月の歌」ツアーで、印象的なシーンで歌い上げられます。
今まで数多くのコンサートで耳にはしましたが、今回の「月の歌」ツアーでの演奏は身震いがするほど完成度が高く、特にバイオリンの藤堂昌彦の演奏するフレーズは心を震わせるものでした。
この歌は、僕があまりさだまさしに興味がなかった時期に発表された歌なので個人的には実感がなかったのですが、発表年は2004年、もう12年前、9.11 のあとの理由なきイラク侵攻をアメリカを中心とした国々が行っていた時期に発表された曲ですね。それから十数年の年月を経て、過ぎた年月により変化した社会情勢によって歌われる言葉の鋭さは磨かれ、歌の価値が劣化するどころかより胸に突き刺さる鋭さを磨いてきているような気がします。
一度聴いてみるとわかるのですが、この歌で歌われているフレーズは、それこそ今、世界が様々な価値観の衝突の最中で混沌を極めている 2016年の姿を歌っているかのような歌になっています。
僕達のための平和と 世の中の平和とが少しずつずれ始めている
独裁者が倒れたというのに 民衆が傷つけ合う平和とはいったいなんだろう
いつの間にか大人達と子供達とは 平和な戦場で殺し合うようになってしまった
僕は君の子供を戦場へ送るために この贈り物を抱えているのだろうか
しかしこの歌は2004年に作られた歌です。いかに聡明なさだまさしといえども今の社会の情景を詳細に把握したうえでこの作品を作ったわけではなく、その時に感じていた違和感や憤りというものを歌に昇華した結果、時代が不幸にも追いついてきてしまった、というのが正確な表現なように思えます。そして、もちろん、作り手として、そのような時代が訪れることは希望していないでしょう。
さだまさしは、「僕は時流の反対に張りつづける」という事を昔のトークでよく述べていました。Aというものが流行しているのであれば、その反対の価値観であるB、もしくは無関係なCというものをあえて主張してみる。と。
フェミニズム的な価値観が広く普及し始めてきた1980年代に向けて、「関白宣言」というその当時古めかしい価値観になりかけた男尊女卑的な歌を歌い上げたのもそういうった「時流に逆らう」という気概から生まれたと言っていいでしょう。
昨年映画化されて話題になった「風に立つライオン」も、日本がバブル景気で浮かれまくっていた時期に作られた曲で、だからこそ
やはり僕達の国は 残念だけれど 何か大切なところで 道を間違えたようですね
というフレーズは当時の世相に最大限反抗する気概のあらわれで、かつ多くの人がその当時には共感するのが難しい価値観だったと思います
(発表当初の1980年代には一切この曲は売れなかったらしい)
それでも、日本の景気が長期に渡り落ち込み、中国に追い越され、沈没がはっきりした時にこの曲が改めて脚光をあびるということを、歌い手であるさだまさしが望んでいたかというと、そうとも思えません。
安保法制は実運用上は何重にも絡め取られた形だけのものですが、それでも隣国の強大化や政情不安低下により「戦争」という事象が現実的なものに近づいてきているという感覚を皆が共有し始めた時勢に、この「遙かなるクリスマス」という歌をコンサートで滔々と歌い上げるということの意味。
自分が歌い上げながらも望まない未来であった世界が、現実に近づいてきてしまったことに対する、最大限のアンチテーゼ、反抗なのでは無いか、と個人的には感じています。
「俺は時流にそうような歌を歌っていない。この歌のような価値観を皆が共有することが時流になるような時代は来てほしくない」と。
そして、そんな年に、「ワーストアルバム」なる奇っ怪なおちゃらけたCDを世に出してしまうということは、それもまた、彼としての時流に逆らう行動の一つなのではないかな、思ってしまいます。
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そんな彼の姿は、あたかも、彼自信が映画の主演作として演じた「翔べイカロスの翼」の主人公の姿、そしてその映画の主題歌「道化師のソネット」の情景に、重なるところがあります。