アイ

正しいこと

正しさというのは自分の主観的な価値観で、自分なりの正しさを皆がもっているし、他人に共有できるものでも無いし強要できるものでもない気がします。

自分が自分の信じる正しさを成し遂げた時に、それを周りに吹聴するか、アピールするか、というと、僕はそのようなモチベーションになることは少ないと思います。そのことを自分なりに完遂できて、周りの近しい人たちがそのことを喜んでくれるのであれば、それ以上望むものが何かあるのだろうか。

そして、自分の正しさは、他人にとっては正しくない、受け入れられないこともあります。だからそのことをあまりに全面に押し出しすぎるのは、他人との衝突、もしくは一方的な他人への攻撃にもなりかねません。

あまりに一般化して相手に伝えようとすると、その言葉や行動が、本来自分の中にいた「正しさ」から変質してしまうかもしれません。

 

「自分が正しい」と、その正しさの理由を精一杯まわりに伝えようとしている人は、自分の価値観として「正しくない」何かに気づいていたり、その罪悪感に苛まれているから、それでも自分を正当化し自分を守るために「正しさ」を精一杯アピールするのかもしれません。

もちろん、そういう心の澱みたいなものは他人にはなかなか気づけ無いもので、他人から見ると、なんでそんなに頑張って言い訳をするのだろう、と不思議になることもあります。

 

自分が正しいと信じていることをやり遂げた時は、かえって、そのことをあまり周りに知らしめようとせずに、そっと自分の心の中、そして本当に理解しあえる近しい人の中だけで、温めるように大事にしていくこと。そんな事が、大事なのかもしれません。

これらは、別名では「ささやかな幸せ」と呼ぶこともあるかもしれません。