クラッシャー上司
クラッシャー上司 平気で部下を追い詰める人たち (PHP新書)
- 作者: 松崎一葉
- 出版社/メーカー: PHP研究所
- 発売日: 2017/01/14
- メディア: 新書
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組織の中でパワハラのような事を起こしてしまう人はどのような人たちなのか、考える上で非常に参考になる本でした。
「クラッシャー上司」という言葉を生み出したとされる筆者が、産業医の経験から組織の中でパワハラを起こしてしまいやすい人たちや、その組織のあり方などについて、実例を基に紹介をしている書籍です。
総論として、パワハラを行ってしまうような人たちにも精神的な未熟さや視野の狭さ、他人への共感心の不足などが挙げられていますが、基本的には組織におけるコンプライアンスの不足が根源にある、とまとめられていました。
個人の特性に話を移すと、概ね以下の二点を持つものが多い、と解説されています。
- 自分は善であるという確信
- 他人への共感性の欠如
どちらも、ひららたく言うと価値観が狭く視野狭窄な様を表しています。
パワハラを起こす人にも明確な悪意がある、というわけではなく、自分なりに組織にとって最善と思われる価値観を基に行動し、他者の意見を受け入れず邁進することによって結果としてパワハラ的な事が発生する、と事実を基にまとめられています。
概ね、こういうタイプの人が組織で許される理由は、その人自身が単体では非常に優秀で仕事ができるケースが多いようです。猛烈な成功体験があるのでおいそれとやリかたを変えないし、他者も成果が出ているのであまり口出しができない。そういう状況がパワハラといういびつな構造を生み出してしまう要因であるとされています。
ただすべての人がそういう人であるわけでもなく、本書では「薄っぺらなクラッシャー」と題されていますが、他者にそれほど根拠のない悪意をもって攻撃をするタイプの人についても触れられています。
こういう人が生まれる要因としては、本書では「嫉妬」が挙げられていました。事例として「C」という人が取り上げられています。彼は処世術でわたりあるき、実際のところ仕事はそれほどできないが、異様に権力欲と支配欲が強くて、その立場を脅かす人に対するパワハラを起こす、という人です。
いったいCは何のために働いているのだろうか。
仕事を通じて自己実現を図り、同僚や部下と一丸になって、会社を背負い、目標を達成する。そのような高邁な意識が、Cにはまったくない。
そのかわりに、自分自身が賞賛され、部下が自分を全面的に崇拝、自分が部下を完全に支配できると思えること、ちっぽけな全能感に満たされたいがために仕事をしているのだ。
したがって、年齢の近い「デキる」部下である課長Hは、自分の「全能」にとって邪魔な存在でしかない。いくら部下が謙虚で支援的であったとしても、それはむしろ自分の能力を貶めようとする行為にしか感じられない。被害感情が高じて、「ボクのことを見くびっているのかなあ」と言ってくる
このケースは、私もびっくりするくらい同じようなケースに遭遇したことがあり、非常に納得感があります。
私のケースも、会社にもあまり来ずに仕事もほとんどしない人が、それでもやたらと自分の事をすごい人だと思っていて、自分の言うとおり思う通りにならないと密室に呼び出して人を罵倒したり、露骨に人に嫌がらせをしたり、他人の仕事の業績を当然のように奪う人でした。そして、自分の日々の振る舞いが原因で組織の中で敬われない事を「名誉毀損」「誹謗中傷」「組織の輪を乱すやつが居る」「見下されている」と表現するような人でした。
その背景にある動機は、上記でほぼ完全に記述されているように思えます。常に自分が中心で、自分だけが偉くありたい、ということなのでしょう。
上記のように、実例をもとに納得感のある記述が多い本なのですが、この本が面白いなと思うのは、パワハラを行う上司側だけでなく、一見被害者側の人にも問題がある人が居ると書いていることです。迂闊にこのような事を書くと反発が大きいのかなとも思いますが、勇気をもって実情を明らかにしようとする姿には一定の敬意を感じます。
うつの中に、「未熟型うつ」というものがある、とこの本では書いています。一般的には「新型うつ」とか「現代型うつ」と呼ばれている病症を「未熟型うつ」と表現しているようです。
その理由は、未熟な精神性を持つ人が羅患しやすいから、ということのようです。ここまで言い切るのであれば、筆者に強い確信があるのでしょう。
例として、個人的な感情の起伏にまかせて働いている若者が、気に食わない上司に対して当てつけで罵詈雑言や陰口を言いまくり、同僚にも横柄で、それが故に組織の中で評価されないことが理由で徐々に働く意欲を失い、家に閉じこもり無断欠勤をする、というものが挙げられていました。
もう少し社会的に成熟していた人間であれば自分の心をコントロールし相手との関係性もコントロールしうまく取り持つところを、自分の感情を優先して行動をしてしまったが故にバツが悪くなり、それをうまく上塗りするために他人を攻撃したり自分中心の考え方で自分の正当性を主張したりするものの、だんだん精神的に追い込まれていく、ということのようです。
私も、相手がうつになるような状況まで追い込まれた事は見たことが無いですが、明らかに相手側の思い込みや勘違い、もしくは私には関係ない理由で発生した鬱憤した感情をもとにちょっと理解できない形で悪口を言われ続けたりしたことはあります。そしてそれは直接私に言うのではなく、SNS などで陰口をひたすら書き連ねるという形で行われます。
陰口になるのは、直接議論したら、自分の拙い意見や思い込みがまったく正当性が無いことが自分でもよくわかっているからでしょう。それでも直情的に「自分は正しい」と信じたいので、自分が正しいということを公平な評価が行われない場所でひたすら主張する、という行為になると思われます。
こういう精神状態は、ちょっと追い込まれると「現代型うつ」へとなってしまう危険があるようです。
私はこういう状況になってしまったときは、直接対話するのが一番かなと、そういう場を設けることが多いですが、自分自身の世界の中で盛り上がってロジックが組み立て上げられていて、その内容を他者と共有することができない人と意思疎通をすることは難しいな、と感じることも多いです。
意思疎通ができず、SNS でひたすら悪口を書くことが自己目的化していて止められないような人に対しては、もうやむを得ず人間としてコミュニケーションを断つ、という劇薬しかないケースもあります。
長々とまとまりなく書いてきましたが、この本を読んでいて思うところ。
パワハラをする側についても、未熟型うつになる人も、精神が未熟なのが理由である、とこの本では書かれていますが、じゃあ精神的に成熟するにはどうしたら良いのか、という視点が薄いと感じます。この部分について解決策や、その示唆みたいなものが無いと、結局個人の能力や自己責任に帰結してしまいがちに思えるので。
もちろん、精神的な部分については当書のページ数では手に余ったのであろうこともあり、表題の内容をわかりやすく提示することに成功していることは評価して良いと思います。