利他的悪人と自利利他
最近、「利他的な悪人」というフレーズを見た記憶があり、どんな記事だったけと探したら以下の記事でした。
これは、組織の中で顔色だけ伺って自己主張せずに、組織が悪い方向に向かっても見守るだけの「善人」の姿を良しとしないために、対義的に「悪人」という言葉を使っているのだと思います。
記事の主旨的に納得できるところもそれなりにあるのですが、「利他的な悪人」というように「たとえ周りに嫌われまくっても自分が正しいことを貫く人」という切り取り方をすると、思い込みや自己顕示欲が強い人のわがままを許容しがちになり、ちょっと危険かな、とも思います。
自分が考えていることを主張する際に、必ず敵を作らなくても良い気もします。理想としては。
個人的には、こういう概念を伝えるときは、「自利利他」という仏教用語を使うと良いように思えます。
改めて調べてみると最澄さんが残したとされる言葉らしいですね。
「自利とは利他をいふ」
「自利とは利他をいう」とは、利他を実践すればいつかは巡り巡って自分の利益になるというような考え方ではなく、「利他の実践がそのまま自分の幸せなのだ」という考え方です。
私流に言い換えると、他人に何か利する、幸せにするという行動以外に、意味のある行動は無い、という風に捉えています。
もちろん、この「他人」というスコープをどこまでの範囲とするのか、というところは非常に難しいところではありますが。
少なくとも会社においては、不特定多数の役になることを積み重ねていくことが自分のスキルアップにつながるし実績や経験にもつながる、と捉え、積極的に会社貢献をしていくことが自分にプラスになる、と考えるのが良いのではないかなと思います。
そのためには、日々の姿勢として、フリーライドして会社の威を借りるような行動や間違った方向に組織が行こうとしているときに声を上げないという行動は謹んでいく方が良いのは当然で、結果として先の記事の主旨にも寄り添うような結論になるように思えます。
全く余談ですが、自利利他の概念をよく表しているポップスの代表曲として、さだまさしの「道化師のソネット」があるように思います。
笑ってよ君のために 笑ってよ僕のために