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潮騒

 

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 さだまさしのニューアルバム「惠百福」のなかで、フラッグシップ的な曲は盆踊り調の「たくさんのしあわせ」ですが、個人的に心に残った楽曲はアルバムの最後を飾る「潮騒」です。

 

さだまさしは、海、そして海に対峙する自分自身、という姿を歌のテーマに取り上げる事が多いですが、この「潮騒」もそういう楽曲の一つに分類できるように思えます。

過去の作品では「夕凪」「ひき潮」「黄昏迄」「青の季節」など。

 

「夕凪」や「ひき潮」は若者の孤独な心との対話、

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「黄昏迄」や「青の季節」は、亡くしてしまった大切な人への追憶、

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そんなものを海という存在に託した楽曲という感じがします。

 

ニューアルバムに含まれる「潮騒」は、どちらかというと自分の心との対話、そして昔の若い頃の楽曲とは異なり、自分の人生の終着点を意識した人間の立場で歌われた、人生への覚悟というか、人生の終わらせ方を感じさせる曲になっています。

 

「幸せを数えようとすると、一緒に不幸せまで数えてしまう」

だから、泣けるだけ泣き、笑うだけ笑う、そんな人生が良い、とこの歌では歌われます。

 

この「しあわせ」「ふしあわせ」の捉え方は、映画「解夏」の主題歌でもあった「たいせつなひと」でも歌われているように思えますが、より厳選された少ない言葉で、訥々とつぶやくように語られているのがこの「潮騒」という歌、という感じがします。

 

ある意味、人生においての飾りのような欲望を削ぎ押していったときに、このような境地に人間はたどり着けるものなのでしょうか。

自分のエゴというべき欲望の数々を脱ぎ去った世界に、今の自分が到達できるようにも思えませんし、通り過ぎるべき人生の懊悩を無視して無理してそのような世界に到達したフリをするべきものでも無いと思っています。

65歳のさだまさしがたどり着いたこの世界を、私が追体験することになるのは何十年後になるのでしょう。答えのない人生のひとつの回答例を提示され、自分なりの答えをさだまさしに宿題として出されたような気分です。

 

この曲は佳曲であるのは間違いないですが、テーマが重く、テレビで扱われることも無いでしょうし、そこまで多くの人に受け入れられるような曲では無いようにも思えます。おそらくさだまさしのコンサートに行かないような人には、そもそも耳に届けられることもない曲でしょう。

さだまさしは、そんな風に、世間に全然知られていないのに、人生についての深い洞察が含まれている楽曲が数多あります。そしてどのアルバムにも一曲以上はそういう曲が含まれています。

僕はさだまさしファンを自称していますが、あらためて過去の作品を聴き直してみると、今までの自分では理解できなかった世界観を歌っている佳曲の多さに驚きます。

 

たとえばこの「最期の夢」という曲も、人生の終着点について歌った歌です。人生の最期で、ひとつだけ望みが叶うならその時何を願うだろうか、その答えがその人の辿ってきた人生の意味である、という歌。

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この曲は十数年前の曲ですが、何年前の曲だろうと、聴き手が歩んできた人生の重さ軽さにあわせて、人がその人生のステージで感じるであろう感情や思いを先回りするかのように、さだまさしはたくさんの作品を残しています。そしてふと自分がその立場になったとき、ふっと寄り添ってくれるような曲が多いです。

本当にさだまさしは奥が深い。

そしてこの「潮騒」も、そんなさだまさしの奥深さを醸成する構成要素の一つとして、一部のファンに聴き継がれていくのかなと思います。