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誰かが不幸でないといけない人たち

元は弱者を救済したいという気持ちから社会悪や不平等に立ち向かったのかもしれない人たちが、弱者の立場に立ち続けるうちに、「弱者は可哀想な存在で、それらを生み出す悪い人たちがいる」という前提でしか世の中を正当化できなくなってしまう人が少なからずいるように思います。

そして、そのように弱者を救い、悪い人たちを否定することでしか自分を正当化できなくなると、そういう人たちはこういうジレンマに陥ります。

「弱者は弱者のままで居てほしい」

でないと自分の存在意義がなくなる

 

「社会悪や不平等はいつまでも残り続けてほしい」

でないと自分の存在意義がなくなる

 

こういう人たちは、弱者を救っているつもりでいるかもしれませんが、実際は弱者を利用しているだけです。

実際に、弱者救済を旗印にしているものの、実際の当事者のことを考えてなくて「弱者を助けるオレ格好良い」とアピールする材料程度にしか考えてないだろうと思わせる出来事も多いです。

 

でも、その人は良いことをしていると思い込んでいるし、社会的な通念にもうまく取り入っているので、周りは否定がしづらい。

建前や飾りにしか過ぎない社会正義が、本音や実質を圧殺し封殺する。

こういうのが蔓延すると、取り返しのつかない社会の歪みが生まれてしまうようにも思います。

 

個人的には、距離をおく、程度のゆるやかな対抗策しか思いつきませんが、SNS の普及によりよりこういう傾向が強まり、息苦しい世の中になってきてないかなと懸念します。

 

この文章を書くにあたっていくつかの具体例に対する怒りが動機ではあるのですが、そのことを取り上げるといろいろ波風たつので書きません。