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鉄道が変えた社寺参詣

 

鉄道が変えた社寺参詣―初詣は鉄道とともに生まれ育った (交通新聞社新書)

鉄道が変えた社寺参詣―初詣は鉄道とともに生まれ育った (交通新聞社新書)

 

 年末年始はこちらの本を読んでいて、特に初詣に行くこともありませんでした。

交通新聞社という出版社は鉄道に関するとてもマニアックな書籍を何冊も出している優良出版社ですが、この本も鉄道の発展を軸に寺社仏閣への参詣のありかたの変化についてまとめられています。

 

この本で取り扱われている内容はほぼすべて「初詣」について。

初詣のような形で正月に社寺参詣をするのは伝統的な行事であると我々は思い込んでいますが、実際に初詣という単語が用いられたのは当書によると明治20年ころらしいです。

(初出は明治18年、川崎大師の正月参詣を表す語として用いられたもの、とのこと)

そのときに何があったかというと、明治以降の西洋化の一端として、鉄道会社の発展、そしてそれによる都市間移動の簡便化。江戸時代から東海道の脇にある有名社寺だった川崎大師も、当時は基本的には徒歩で通うしかなくそこまで気軽に出かけられるものではなかったようです。それが鉄道の開通により短時間(新橋-川崎間26分)で移動できるようになり、観光的な意味も含めて郊外の社寺への正月参詣が人気を集めるようになったようです。

 

そこで、各鉄道会社も、PR に力を入れ始めます。

江戸時代までは「恵方詣」と呼ばれる、その年の恵方の方角にある社寺に正月参詣するという習慣が一般的だったようです。しかし鉄道の普及により、各鉄道会社が恵方とは関係なく自社の沿線にある社寺参詣を PR するようになりました。そのこともあり「恵方によらず、正月に社寺に参詣する」という「初詣」の習慣が受け入れられるようになり、定着に至ったようです。

そして、初詣の普及には、鉄道会社同士の PR 合戦も大きな影響を与えたようです。

有名なのは、成田山新勝寺。現在はともに JR となっている成田鉄道(我孫子回り)と総武鉄道(千葉回り)で激しい顧客獲得競争を行い、列車の増便や、当時としては珍しい喫茶室付きの列車の導入など参詣客を取り込む施策を数々導入し、結果として人気も加熱していったようです。その他にも京成電鉄の参入など各社入り乱れての競争が行われました。

競争が激しくなれば、サービスも良くなり、その結果人気も出る、ということで、成田山新勝寺はその名残もあってか現代でも正月参詣客日本一を誇る神社となりました。これは、鉄道の発展と、その激しい PR 合戦が生み出したもの、と本書ではまとめられています。

 

感想として、我々が伝統と認識しているものも実はそこまでの歴史が無いものも多く、その当時の流行が様々な要因で定着したものが少なくないのだな、と感じます。

そして、一度定着してしまった習慣というのは、その本質的な意味や経緯などをあまり深く考えず、後世の人は従ってしまうものなんだな、ということも感じます。

これらは、初詣に関わらず、あらゆることで同じようなことが存在していそうです。

 

そういう意味でも、色々と示唆を与えてくれる書籍だな、と感じる年末年始でした。