アイ

誰かが不幸でないといけない人たち

元は弱者を救済したいという気持ちから社会悪や不平等に立ち向かったのかもしれない人たちが、弱者の立場に立ち続けるうちに、「弱者は可哀想な存在で、それらを生み出す悪い人たちがいる」という前提でしか世の中を正当化できなくなってしまう人が少なからずいるように思います。

そして、そのように弱者を救い、悪い人たちを否定することでしか自分を正当化できなくなると、そういう人たちはこういうジレンマに陥ります。

「弱者は弱者のままで居てほしい」

でないと自分の存在意義がなくなる

 

「社会悪や不平等はいつまでも残り続けてほしい」

でないと自分の存在意義がなくなる

 

こういう人たちは、弱者を救っているつもりでいるかもしれませんが、実際は弱者を利用しているだけです。

実際に、弱者救済を旗印にしているものの、実際の当事者のことを考えてなくて「弱者を助けるオレ格好良い」とアピールする材料程度にしか考えてないだろうと思わせる出来事も多いです。

 

でも、その人は良いことをしていると思い込んでいるし、社会的な通念にもうまく取り入っているので、周りは否定がしづらい。

建前や飾りにしか過ぎない社会正義が、本音や実質を圧殺し封殺する。

こういうのが蔓延すると、取り返しのつかない社会の歪みが生まれてしまうようにも思います。

 

個人的には、距離をおく、程度のゆるやかな対抗策しか思いつきませんが、SNS の普及によりよりこういう傾向が強まり、息苦しい世の中になってきてないかなと懸念します。

 

この文章を書くにあたっていくつかの具体例に対する怒りが動機ではあるのですが、そのことを取り上げるといろいろ波風たつので書きません。

 

ダークサイド・スキル

 

ダークサイド・スキル 本当に戦えるリーダーになる7つの裏技

ダークサイド・スキル 本当に戦えるリーダーになる7つの裏技

 

この本は最近読んだ経済書の中では抜群に面白かったです。

「ダークサイド」とか「裏技」という風な書き方がされているので、本来やるべきではない若干汚いやり方で世の中を渡り歩く方法について書いてあると思ったのですが、実際はある意味王道の、それでもあまり経済書では表立って書かれない泥臭いスキルについて書かれていた本でした。

 

7つのダークサイドスキルが紹介されているのですが、そのスキルの表題も、ちょっと刺激的な単語を意図的につけているだけで、実際は硬い経済誌でも書かれているような項目だったりします。

たとえば「KYな奴を優先しろ」という項は、今風にいうとダイバーシティについて書かれていた項です。あうんの呼吸で予定調和的に話が進むよりも、KY的に見えても是々非々で物事に取り組む人が組織では重要で、多種多様な意見が出てこないとイノベーションが産まれない。という話で、これは現代の職場で「多様性」が重視される文脈とまったく同じに思えます。

 

そんな風に読ませる工夫をしながら、この本は通り一遍の経済書には書かれない現場の修羅場をくぐり抜けてきた人でしかかけない思索のあとが色々感じ取れ、記されています。

7つのスキルについて覚える本というよりも、筆者の仕事における理念や信念みたいなものに感化されることが多い書籍だなと感じます。

たとえば、上記と同じく KY の項で、無邪気に自分の気持ちだけにしたがって KY な発言をしている人は重用されなくなるので、「自分が KY な発言をできるようにするためにも根回し(本書では CND =調整、根回し、段取)が必要だ」という話が目から鱗でした。

 

他にも、気になるセンテンスをいくつかピックアップしてみます。

私の尊敬する経営者の一人に、JFEホールディングス元社長の數土文夫氏がいる。彼は常々、部下に対して「皆さんの今日の活動は、PLのどこに紐付いているのか説明できますか。」と叱咤激励していたそうである。要するに、売上を上げるための活動、コストを下げるための活動、このどちらでもなければ、その日一日の活動は付加価値を生んでいないことになるとの意味だそうだ。

 

自分の心の奥底にある原点、価値観とは、別の言い方をすれば自分は何によって動機づけられているのか、ということになる。

(中略)

たとえば、異性関係にだらしないとか、名声に弱いとか、お金にルーズな面があるとか、ギャンブルに目がないとか、組織の中での出世欲など、人それぞれ、みんな誰でも下世話な欲望を持っている。

(中略)

まずは自分の煩悩は何かということをしっかりと自覚すること。自覚した上では逆転の発想で、それを自分自身の中で与件とすることが求められている。

 

あちこちに顔を出してご機嫌伺いをする廊下鳶をやっている人ばかりが出世する会社は、やはりどこかおかしいわけです。西郷隆盛が言うように、金も名誉も、そして地位も要らない。こういう奴が一番使いにくい。でも、それはその人がそれなりの生き方を持っているからで、それが何より大事なんですね。

 

この本の基本スタンスは、旧態然とした非効率でうまくいっていない組織をいかに立て直すか、という視点で書かれているように思います。そのために様々なダークサイドスキルを駆使して、強い個・強い組織を作っていくことが必要、と僕は受け取りました。

うまくいっていない組織を立て直したい人が読むと、変えていこうという活力が得られる本でもあるなと思います。

 

 

リストラクション

たまたま普段見ないフリースタイルの動画を見ていたら、R-指定とDOTAMAのフリーラップ合戦が上がっていて夢中で見てしまいました。

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フリースタイルって単調なリズムに乗せて適当に韻を踏んでいるだけだと誤解してました。もちろんそういうレベルのものもあるのでしょうが、R-指定と DOTAMA のこのレベルまで行くと自分の人間性や生き様そのものを全部真っ裸にしてさらけ出して、自分以外頼れるものがない中で雄々しく自分の存在を証明する行為なんだな、と思わせます。

個人的には、関西弁をベースとした豊富なリリックとライムで魅了するR-指定も捨てがたいですが、何故かサラリーマンスタイルでダミ声から遠く離れた甲高い声で、若干ワンパターンだけれど畳み掛けるように自分を表現する DOTAMA の方に興味がひかれます。

 

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フリースタイル中心の人のソロの楽曲はあまりフリースタイルのときほどの迫力と面白さが無いことも多いのですが、DOTAMA は楽曲として聴いても面白いですね。

この「リストラクション」も、5・7・5の日本的なリズムをベースに、標語的にも聴こえるよくある単語の羅列を重ねていく作品で、正直病的にも感じられますが、癖になる一曲です。

 

ヒップホップというとハングレの人たちの文化というイメージが強いですが、そういう変な色にそまらない DOTAMA みたいな人が居ると安心できますね。

石川啄木正岡子規が今の時代に生きていたら、意外とこういう世界に生息して、自らの言葉を生み出す活動に身を投じていたんじゃないかな、と思ったりもして、フリースタイルのヒップホップは少し聴いてみようかなと思っています。

 

山本直純と小澤征爾

 

小澤征爾と山本直純 (朝日新書)

小澤征爾と山本直純 (朝日新書)

 

「音楽のピラミッドがあるとしたら、オレ(山本直純)はその底辺を広げる仕事をするから、お前はヨーロッパへ行って頂点を目指せ。」

帯にもあるこのセリフの通り、日本におけるクラシックの大衆化に尽力をされた山本直純さんの功績を、盟友とも言える同世代の小澤征爾さんの功績と並べて振り返る書籍でした。

 

僕にとっての山本直純さんは、出会いは「一年生になったら」、少年期には合唱曲として有名な「おーい海!」や「ミュージックフェア」のテーマ曲という感じでしょうか。

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「おーい海!」はとてもキレイで歌いやすいメロディラインで、歌うのが結構好きだった思い出があります。

そして、さだまさしを聴くようになってからは、過去を振り返る形で「親父の一番長い日」のきっかけを作った人という認識も持つようになりました。

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僕は、生まれる前だったということもあり山本直純さんの全盛期の印象が無いので、逆に流行作家というイメージがなく、親しみやすい楽曲やクラシック曲を作り出した人というイメージが強いです。

 

この本は、そんな大衆的な作曲家であったと思われている山本直純さんが、いかに稀有な才能の持ち主で、いかに日本のクラシック界に貢献をしてきたかを熱い筆跡で語られています。書いている方もクラシックが本当にお好きなことが伝わり、熱量強く山本直純の偉業について様々なエピソードを基にまとめられています。

 

特に僕が知らなかったのは、山本直純さんは父親も優秀な音楽家で、大変裕福な家庭出身で、子供の頃から自由学園で音楽の英才教育を受けていた、ある意味ボンボンのご家庭出身なんだということ。

逆にそういう境遇出身だと思われてしまう小澤征爾さんが満州生まれの比較的一般家庭出身で地道な努力と苦労を重ねてきたことと比べると、世間のイメージとちょうど真逆な感じを受けてしまいます。

ある意味常識を壊すような自由奔放さを発揮している山本直純さんですが、環境が恵まれていて初めて得られる自由さなのかな、と感じたりもします。

 

個人的には、山本直純さんの功績というのは流行曲作家としてもクラシックの裾野を広げる活動においても十二分に多くの音楽好きに伝わっていると思っていますが、この本は繰り返し繰り返し「この凄さが伝わらないのは悔しい」と書かれています。同世代をともにした人たちにとっては僕達が想像するよりもはるかに山本直純さんへの思い入れが強く、「彼の凄さはこんなものではない」という思いが強いのだな、と感じるところがあります。

こういう方々がいるうちに、この本などを通じて、山本直純さんの功績やその思いというものが、より多くの人に正しく伝わると良いな、と思ったりします。

 

コピペ

コピペで作られた 流行りの愛の歌

お約束の上でだけ 楽しめる遊戯

唾吐いて みんなが大好きなもの 好きになれなかった

可哀そうかい?

スピッツ「グリーン」)

コピペって言葉、他人のプログラムコードをそのまま借用して使用するみたいな元からある使い方から派生して、他人の考えや、自分の手柄でも無いことをそれらしく取り繕って語ったりすることを指すようになってきているな、と思います。

仕事の場でも、すごい有名な人の発言の尻馬に乗っかって、自分で熟慮したり調べたりせず、当然そういう局面に直面したこともないのに、あたかも当事者のように「これはすごい」「あれはダメだ」的な発言をする人はたまに見かけます。こういうのもある意味他人の虎の威を借りてコピペしている様、と言えるかもしれません。

 

コピペって、いろいろな情報を引用して何かに役立てるというより、最近は情報を手軽に消費する手段、というようなイメージが強いです。

他人の意見をそれらしく「消費」することで、自分を彩る材料として使用する、みたいな。

 

そういう場として、さんざん議論されてきた事ではありますが、twitter の存在はとても大きいな、と感じることが多いです。

他人の意見を retweet するだけでそれらしくタイムラインを彩る事ができるし、140 文字の文字制限があるがゆえに長文書かせたら絶対ボロが出そうな基礎的な見識や知識が無い人でもそれらしい文章を「飾る」ことができます。

自分は何もしてないのに、たまたま仕事の同僚がテレビ出たりしたら「私の隣の席の同僚が〜」「いつもランチで話している同僚が〜」的な感じであたかも自分自身もすごいかのように飾り立てたりする人もたまに twitter では見かけます。

何か他人の威を借りて手軽に自分をキレイに飾ろうと都合よく情報を「消費」する人、はコピペな生き方をしている人だなと思います。

 

もちろん人の自己顕示欲のレベルは様々なので、どのような形で自己アピールしても良いんだろうなとは思います。

ただ、コピペ的な生き方をしている人は基礎的な考える力や、一次情報発信者になれるような知識や洞察が少ないように見え、他人の尻馬にしか乗れないような生き方になってしまっているように見えます。それも含めて、生き方は人それぞれですが。

 

 

 

もしも、あなたが「最高責任者」ならばどうするか?

 

最近このシリーズを良く読んでいます。理由は、Kindle Unlimited 対象商品なので無料で読み放題なことと、一つの会社のケーススタディが数ページでまとめられていて、時間が無いときでもスキマ時間で読んでいくことができるからです。

 

本としては、特定の企業を題材にあげて、その企業の現状の分析と、今後の戦略について考える、というスタンスになっています。

戦略についてはもちろん机上の仮想的なもので、基本的には皆がこの題材を用いて自分なりの分析をすることが求められていますが、一応回答例的に大前研一の考える戦略も併記されています。

対象とする企業も、超大手企業から、DMMやメルカリなどの新興 IT 企業、はたまた富山県など行政まで対象にしていて、幅広いです。

DMM などは、「ピンクオーシャン」戦略についてものすごく真面目に分析していて、読んでいて苦笑してしまいます(笑)

 

この本は、最近流行った以下の本と同様、知識を加えていく類の本ではなく、題材と調理方法について学んだうえで自分なりの企業の分析を試みるための参考書、という感じがします。

MBAより簡単で英語より大切な決算を読む習慣

MBAより簡単で英語より大切な決算を読む習慣

 

 

こういう本で分析の着眼点や分析の際に必要な材料(企業の場合は基本的な貸借対照表や決算報告など)を理解し、自分のケースにおいて色々妄想でも分析を試みてみるという、問題解決の思考訓練の習慣を身につけるための良い参考書ですね。

 

特に大前研一の上記の本は、繰り返しになりますが Kindle Unlimited で読めることと、一つのケーススタディが短くまとまっているのでスキマ時間に読むのに適していておすすめです。

 

誰がアパレルを殺すのか

 

誰がアパレルを殺すのか

誰がアパレルを殺すのか

 

 発売直後に買って読みました。特に感想を書くまでも無いだろうというのが読後感だったのですが、私の想像以上にこの本は評価が高いようです。

 

僕の率直な印象としては、この本は作りが雑です。

この10年、成功したアパレル企業のスタイルについて丁寧に解説していないことが一番の理由です。端的に言うと SPA スタイルについてで、そこについての分析や掘り下げが無いのに、アパレル業界の栄枯盛衰について語れるワケがないだろう、という印象を持ちます。

なぜH&MやインディテックスZARA)や、日本国内ではユニクロが成功できたのか、そこに触れないと、アパレルの凋落についても解説できるようには思えません。

 

一例として、この本では、中国などの企業に商品の製造を委託し川上から川下への流れの一貫性を失っていることや、SC(ショッピングセンター)への依存などがアパレルの活力を低下させた理由であると書かれています。

そういう側面もあるだろうけど、じゃあユニクロはは自前で工場を持ってないとされ中国を中心とした下請け会社に委託し、販路としてはショッピングセンターに多数店舗を確保しているけれど、なぜ今のように莫大な利益を挙げられるのか、という話になります。

 

正直、ユニクロに真っ向から切り込んでいって訴訟騒ぎになった、以下の本のほうが、アパレル業界の実態をよく分析していると思います。  

ユニクロ帝国の光と影 (文春文庫)

ユニクロ帝国の光と影 (文春文庫)

 

 

今後の期待として取り上げられている新興企業も、たとえば TOKYO BASE は増収増益で悪い会社ではないでしょうけど、クオーターで数億円の売上高しかない企業をユニクロやスタートトゥデイ、既存のオンワードTSIホールディングスと並列で語るのも現時点では無理があろうかと思います。そういうアンバランスさがとても目立つ本です。

 

日経BPの本は、読者の無知に漬け込んで、アンバランスな構成だけどそこここに印象的な表現を入れて「それっぽい」 本に仕立ててくることが多い印象があります。