アイ

アメイジング・グレイス

さだまさしの「風に立つライオン」のエンディングは、アメイジンググレイススキャットで引用することで壮大な世界観を歌い上げています。

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個人的に、アメイジング・グレイスは色々な方が歌唱しているのを聴いてはいながらも「どんな事を歌っているのか」についてあまり気にしていませんでした。

 

歴史ある賛美歌ということで、Wikipedia にも歌詞が乗っているんですね。

アメイジング・グレイス - Wikipedia

驚くべき恵み(なんと甘美な響きよ)
私のように悲惨な者を救って下さった。
かつては迷ったが、今は見つけられ、
かつては盲目であったが、今は見える。

神の恵みが私の心に恐れることを教えた。
そしてこれらの恵みが恐れから私を解放した
どれほどすばらしい恵みが現れただろうか、
私が最初に信じた時に。

多くの危険、苦しみと誘惑を乗り越え、
私はすでにたどり着いた。
この恵みがここまで私を無事に導いた。
だから、恵みが私を家に導くだろう。

そこに着いて一万年経った時、
太陽のように輝きながら
日の限り神への讃美を歌う。
初めて歌った時と同じように。

基本的には神の救いを描いた歌です。

風に立つライオンの歌詞と続けて読むと、苦悩の結果、故郷の恋人を捨てるような形になりながらも、僻地医療に身を捧げる決意をした青年医師への救い、魂の開放と、それへの感謝とも受け止めることが出来る内容になっています。アメイジンググレイスのメッセージにも意味があると考えることで、より「風に立つライオン」の歌の世界が多面的に広がりを持ちます。

ただメロディが荘厳だから引用した、というわけでも無いのかもしれないな、と個人的には感じたりもしました。

 

1978年のさだまさし

あまりライブレポートの類は書かないのですが、さだまさしさんが「拡散して!!」とステージで仰っていたので書いてみます。

 

2018/03/31 に大阪のフェスティバルホール5周年イベントとして開催された、さださんのコンサートに参加しました。

タイトルは「1978年のさだまさし」。

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さださんが建て替え前の旧フェスティバルホールでコンサートを行ったのが40年前(1978年)の3月30・31日。今年は立て直し後の新フェスティバルホールの5周年にして、新旧あわせてさださんのフェスティバルホール40周年、ということで記念のイベントとして開催されたようです。

この辺はツアーバンド(さだ工務店)のチェリストで、ムジカ・ピッコリーノのゴーシュとしても人気の徳澤青弦さんのインスタにも紹介されています。

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このコンサートは、1978年3月30・31日に行われたコンサートのセットリストを出来る限り忠実に再現し、「曲順は少し変えているけれど」同じ曲のみを用いて実施されました。曲順を変えた理由は、コンサート終盤の演出により自ずと分かる訳です。

 

さださんの1978年における状況は以下のような感じ。

  • ソロデビュー3年目。
  • デビュー後シングル5作、アルバム3作をリリース済み。アルバムは64万枚、92万枚、89万枚と準ミリオンを連発していて既に売れっ子。
  • ソロデビュー後のヒット曲はこの時点では「雨やどり」「檸檬」。今広く知られた曲を含めると「秋桜」「案山子」など。
  • 「関白宣言」「親父の一番長い日」「防人の歌」「北の国から」などの大ヒット曲が生まれる前。
  • そして映画で大借金をする前〜💸。

僕も正直この時代のことをリアルタイムに知るすべが無いので wikipedia などで追う以外に情報がなく実感はないですが、この頃にファンになった先輩さだファンも相当に多いでしょう。そういう方々には多感な青春時代のことが懐かしく思い出される演目なのではないかと思います。

 

箇条書きでコンサートの感想を書いていきます。

  • バンド編成はいつもの「さだ工務店のメンバー」でスタート。
  • 前半後半の二部構成。間の休憩時間は、皆歳を取ってトイレが近いだろうからと長めの15分を確保(笑)
  • 楽曲は意外とさだ工務店との組み合わせで演奏済みのものが多く、私が初見だなと思ったのは「最后の頁」「夕凪」「転宅」「檸檬」くらいでした。ピアノの倉田さんとは付き合いも長いので合わせたことのない曲はないでしょう。ソロデビュー後3年以内に作られた作品群の人気の高さとクオリティの高さには改めて驚かされます。
  • トークでは1978年当時のエピソードを披露。日本のコンサートツアーで初めて大道具を導入したのはさだまさしである、とさださん本人もトークでよく述べていましたが、導入したのが1978年の3月30日のフェスティバルホールでのコンサート、まさに40年前のその時が歴史的な日であったんですよと説明。
  • 秋桜の作曲を依頼された時のエピソードも披露。依頼されていた事を数年忘れていて、催促されて追い込まれたため寝ずに〆切日の午前4時頃に秋桜を書き上げ、先方の担当者に電話で連絡したが、「ありがとうございます。それでB面は?」と電話口で告げられ血の気が引いたとのこと。その際に急ぎ作った曲がライブでも披露された「最后の頁」。ちなみにかなり久しぶりに歌ったせいか曲の出だしで少しミスっていました。
  • 当時のトークの大ネタを思い出したら、さだ企画のみんなでスキーに行ったエピソードがあった、と、そのトークを披露。曲を跨いで30〜40分くらいかかる壮大な作品でした。
  • 大ネタ中に、話が脱線して、ファミマの入店音「大盛況」にあわせて「産まれたてのさだまさし」を皆で大合唱。「次の45周年コンサートツアーのタイトルは「産まれたてのさだまさし」にするぞ」と、どこまで本気なのかよくわからない宣言も飛び出しました。

そして、何よりもこのコンサートのクライマックスは、アンコール前に宅間久義さんがサプライズ出演したことでしょう。

僕も正直、1978年の楽曲をやるのであれば「胡桃の日」をやらざるを得ないだろう。でもさだ工務店のクラシカルな編成で出来るのか?そもそも胡桃の日は宅間さんのマリンバが無いとわさびの入ってないお寿司みたいなものだろう……と悶々としていたなか、何の前フリもなく突然マリンバがステージに運ばれてきたときの興奮とまわりの大歓声はなかなか忘れがたいです。

 

当然、宅間さんのマリンバが加わって演奏するのは「胡桃の日」。さださんがギターの前奏をおもむろに弾き出し、皆の期待が最高潮に高まる中さっそうと宅間さんが登場し、演奏が始まります。

場内は総立ち…まではいかないですが、興奮した先輩さだファンたちが立ち上がって、僕も聞いたことがないような大音量の手拍子の中楽曲が展開されていきます。

近くのご高齢の女性が感極まってか泣き出したりと、本当に感動的で興奮が最高潮な雰囲気。

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 胡桃の日の演奏後、さださんが手招きして宅間さんを呼び、あつい抱擁、そしてお互いの健闘を称えるように親指をグッ👍と突き上げる姿は本当に格好良かったです。 

 

アンコール前最後の曲は「飛梅」。マリンバ入りの飛梅はライブでは私は初めて聴いたのですが、二番後半のドラマチックな盛り上がりを完璧に表現するにはやはりマリンバが必須、この曲は宅間さんあっての曲だなと思わせます。

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会場が興奮の坩堝に包まれる中、緞帳がおり二部終了。皆スタンディングオベーションで、経験したことが無いくらいハイテンポの手拍子でアンコールを煽ります。

緞帳が開け、トークもほどほどに、アンコール曲は「つゆのあとさき」。

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高音が印象的な、きらびやかなメロディで人気のある曲です。アンコールで歌うにはしんどそうな曲ですが、65歳の今になってもさださんの高音の伸びは保たれ、ここ数年の中でも最近は更によく声がでるようになったのでは…と思わせる完璧な歌声でした。

 

これで1978年に歌った楽曲はすべて歌い終え、普通ならここで終演ですが、興奮した観客はそれを許しません。

一度ステージを降りたさださんもすぐ戻ってきて、「もうこのへんでよろしいでしょう(笑)」と冗談を言いながらも、アンコール二曲目は「主人公」。ファン人気ナンバーワンの曲をここで持ってくるか!と、さすがのサービス精神の旺盛さに感動。

最近のさだ工務店の演奏では弦の美しさを活かすアレンジで演奏されていましたが、今回は昔ながらのアレンジ。

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主人公終演後、バンドメンバー、宅間さん含めステージ最前列に整列して、カーテンコールの挨拶。

このときに「今日は特別だよ〜、スマフォで撮影して良いよ〜」「撮ったら SNS とかで拡散するんだよ〜」との発言。他のミュージシャンでは珍しくないですが、さださんもこんな事するんだ、と驚きました。

僕のこの記事も、さださんのその発言を受けて書いてます。

 

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先輩さだファンの方々も我先に携帯取り出して写真を撮りだし、撮影に夢中。「カメラを構えていると、拍手が無いことに気づきました。寂しかったよ。(笑)」との発言にまた爆笑。

 

皆がステージを降り、緞帳が降ります。

さすがにもう終演でしょう、こちらももうお腹いっぱいですよ、と思う中、興奮した先輩さだファンは一切帰る気がなく、また大音量の手拍子とともに「アンコール!アンコール!」の大合唱。

 

かつて、数年前に、こんなインタビューを語っていたさださん。

 

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もし出ていく前に拍手が鳴りやんだら僕はそのまま帰る。逆にアンコールをやって、まだ拍手が鳴りやまなければ、また出ていく。で、もういいよね、って思いながら袖に引っ込んで、まだ拍手が鳴りやまなければ、また出ていく。

こんな事言っちゃったんだから、この盛り上がりの中、出てこないわけにはいかないでしょう。観念したかのようにステージに戻ってきたさださんが、宅間さんを引き連れて演奏したアンコール三曲目は「雨やどり」

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この写真はその時のもの、演奏開始直前にあわてて撮影したものです。

さださんも皆を煽り、まさかの場内全員での「雨やどり」の大合唱。雨やどりは合唱向きの曲ではないな、と苦笑しつつ、大興奮のコンサートは素晴らしい余韻を残して幕を閉じました。

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最近、数年前から僕もさださんのコンサートツアーに少し参加するようになったのですが、最近のツアーは非常に楽曲のクオリティは高いものの、何か予定調和的なものを少し感じていました。

しかし今回の「1978年のさだまさし」は、ファンを裏切る嬉しいサプライズの数々、こういうものを体験してしまうと、ますますさだまさしのファンは辞められないな、と感じてしまいます。

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組織は変われるか

 

組織は変われるか ― 経営トップから始まる「組織開発」
 

 

なんとは無しに購入した本ですが、抜群に面白かったです。

本の内容としては、組織の改革を専門的に行っている組織コンサルタントの著者が、今までの仕事の中で経験した実例をもとに旧態然とした組織変革をどのように行っていくか、そのメソッドや視点について解説した本です。内容はストーリー仕立てで書かれており、とても理解しやすいです。

特に、組織を変えたいと思っている組織のトップ、もしくは組織のトップに「そのようになってほしい」と思っている組織の一員が、組織改革の指南書として読むのに最適な本に思えます。

以下は、書籍の中で気になった箇所を、備忘録的にメモ書きしていきます。

やりがいとは何か

書籍の章タイトルは「リスクシナリオを提示する」となっている箇所です。

多忙感がやりがいにつながるのか、あるいは疲弊感となるのか、その分岐点は「孤立感」ではないかと思う。一体感の強い職場では、相互の支援や共通の達成感があるため、多忙感が個人の働きがい・やりがいを生み出しやすい。

それに対して、一体感の弱い職場では、個人が分断されており、相互の支援がなく、達成感も得づらいので、疲弊感を生みやすいのではないか。

働いている人が皆忙しそうにしているのに、実際のところ全然アウトパフォームできないということがあります。多くの場合、組織の上下のつながり、横のつながりが薄く、一体感がないため、目標へ向かう足取りが皆バラバラだったり、組織的な無駄が散在していて個人が不要な頑張りをしていたりという状況に陥っているように思います。

適応課題

課題には、「技術的問題」と「適応課題」があるとされています。

「技術的問題」とは、技術や経験で解決できる問題。

「適応課題」とは、技術や経験だけでは解決できず、当の本人が変化に適応しなければ前に進まない課題。具体的には、当事者が、対話を通じて従来の価値観や仕事のやり方の一部を手放し、試行錯誤を通じて新しい能力を育む必要がある。

この「技術的問題」「適応課題」というフレームワークは、『最難関のリーダーシップ』という書籍を記したロナルド・ハイフェッツという方が提唱したもののようです。

 

最難関のリーダーシップ――変革をやり遂げる意志とスキル

最難関のリーダーシップ――変革をやり遂げる意志とスキル

 

 

問題の本質を見極めず、成功体験に基づいて自分たちができそうな解決策に飛びついてしまうと、いくら時間と予算をかけても施策は空振りに終わる。的が見えないまま矢を放っているも同然である。

多くの組織でも、組織の問題を解決するときにわかりやすい解決策に飛びついてしまうことが多いように見えます。

たとえば、現場の案件がうまく管理できず、スケジュールや品質について守れない事象が頻発し、疲弊している現場があります。 この時の解決策として、「人を沢山採用すれば良い」という解決策は、皆が一番責任を負わずに提唱できる案です。

しかし本質的には、現場のマネジメント能力が不足していたり、上下のコミュニケーションが円滑にいっていなかったり、様々なレポートラインを飛び越して難癖をつけてくる特権的な立場の人が現場を混乱させていたり、組織力の無さが問題を引き起こしている、というのが問題の根源の場合もあります。

その場合、今までの組織のマネジメントのあり方を改めて、環境にあわせて最適化する必要があります。しかし今までのあり方に疑いをもたないマネジメント層は「忙しい=人が足りない」という皮相の問題として解決を図ろうとします。もちろん想像通り、本質を直視しないこのような対処は機能不全の組織をさらに拡大し症状を悪化させるだけで、たいていうまく行きません。

トップのメッセージ

トップは伝えているつもりだが、現場には伝わっていない。「伝える」と「伝わる」は一字違いだが、組織開発の現場で、よく直面する現象である。

たとえば「残業時間を減らそう」とトップから号令がかかる。しかし役員・本部長から降りてくる仕事の量は変わらない。(中略)玉の出どころ(役員・本部長)を押さえないかぎり、仕事は減らず、労働時間は一向に改善されない。トップのメッセージが、事実上、役員・本部長たちによって骨抜きにされてしまっているのだ。

トップのメッセージが伝わっていない、社長が何を考えていてどこに向かおうとしているのかわからない、という組織は基本的に機能不全か、高度にマニュアル化されているのだと思います。大半は前者です。

そして、トップの人が本気で組織開発をしたいと思っても、それだけでは組織が変わらず、当事者の人たちの意識を変える必要があることもここでは示唆しています。

当事者意識と経営への信頼

組織開発とは、「適応課題」に取り組むことである。現場だけに「なんとか工夫しろ!」と言って解決するような「技術的課題」とは異なる。(中略)問題に本気で取り組むなら、当事者全員が、自分自身の問題として向き合う必要があるのだ。

いわゆる現場の当事者意識とういのはよく語られるテーマです。ではこれを現場に植え付け、行動に移すためにはどういう環境が必要なのか。 当書では「経営への信頼」という言葉で表現しています。

組織における適応課題を、「経営への信頼」という視点で捉えなおすと、より課題が鮮明になる。組織課題とは、組織メンバーの誰もが、実は潜在的に気づいている課題だ。気づいていながら、誰も表立って課題として取り上げようとしない。

若手・中堅層は、「上が変えてくれない」「上が変えないと言うだろう」と言う。

一方、部長層・役員・経営トップは「下が問題を上げてこないと判断できない」と言う。要するに、お見合い状態なのだ。

「自分の声を経営が受け止めてくれる」という信頼が揺らいでいるから行動できないのだ。この事実を、経営トップ以下のマネジメント層が真摯に受け止め、信頼を育めるように自分を変えられるか。これが組織課題の核心なのである。

よく、トップの人が「何か問題があったらなんでも言ってこい」と言う事がありますが、上申を求めるだけでは下から有効な情報は上がってこないでしょう。それはつまり、トップや組織に対する「信頼がない」からなのだ、ということをこの文章はよく表しています。

一連の話がつながるわけですが、本質的な問題を認識し、それを皆で口に出し、改善策を皆が自分ごととして考えられるような、そんな場作りこそが、トップの人には求められるということなのだと思います。

 

まとめにかえて

この本では、上記のようなテーマや問題提起をもとに、具体的にどのように組織を変えるような場作りをしていくか、経営合宿やワークショップの開き方なども含めて微に入り細に入り解説があれており、極めて現実的で実践的な書籍と思います。

大阪は日本の縮図

僕は関東首都圏のエリア出身の典型的な都会っ子なので勢い東京での生活が長く、価値観も「東京」という都市圏のまとう空気感から作り出されました。

そういう観点の人間が、日本第二の都市と謳われる大阪に、たまに訪れるとその違いを感じるところがいくつかあります。

 

街が古臭い

梅田駅周辺あたりはだいぶきれいになりましたが、大半のエリアで町並みが昭和の名残を残した、東京人から見ると古臭い町並みが広がっているように見えてしまいます。

昔の建物が残り続けている、という話や、電子マネーやクレジットカード未対応の店・サービスが多い、電源やWifiもほとんど使え無い、等々の環境面の変わらなさが印象としては強いです。

特に天王寺新今宮周辺は、いろいろな事情があるにせよ、昔の香港映画の風景にタイムスリップしたかのような趣です。

今、アジア的なノスタルジーを感じようとしたら、香港も中国含めアジア諸国は日本にくらべると猛烈な勢いで発展して変化しているので、停滞している昔ながらの風情を残した都市を訪れるという意味だと第一に訪れるべきは大阪ということになるのかなと思います。

 

高い建物が少ない

街並みの古臭さにも関わりがありますが、大阪の特に梅田などのキタ周辺は、伊丹空港が近くにあることから航空法の制約があって高層ビルの建築に制限がありました。そのせいで、東京含め国内外の他の大都市と見比べると大阪周辺の空の広さに驚きます。

この辺は福岡も同じような課題を抱えており、空港の近さ、そしてともに扇状地で有るがゆえの地盤の脆弱さが要因とはなっています。

一応、建築技術の向上もあってか、航空法の緩和は大阪も福岡も進んでおり、徐々に今までよりは高い建物が増えてくるようです。

いずれにせよ伊丹空港の存在による制約は、昔ながらの風情を残す要因にもなっており、今後の大阪の目指す場所によっては功罪ともにあるかなと思います。

 

お笑いの街と言うけれど

「大阪はお笑いの街」というのは、よしもとなどが数十年かけて築いてきたブランドのようなものです。しかし実際にお笑いの劇場を探しても、意外と大阪には多くは存在しません。

なんばの周辺にグランド花月やよしもとの劇場はありますが、例えば寄席とかを見に行こうとすると天満天神繁昌亭のような最近できた施設くらいしか選択肢が出てきません。

意外と東京の方が、娯楽としてお笑いを楽しめる環境が多いんじゃない?と思ってしまいます。

しかし、まちなかの人が本当に個性的で面白い人が多く、距離感も東京のよそよそした感じとは異なるので、歩いていてもおもしろいのは確かですね。

たまたま西成のあたりを歩いていたら、すれ違った老人に肩を掴まれて「人生は長いようで短いんやで」と言われたのですが、あまりに意味不明で、それでも言っていることは本当にその通りだなと思って納得しました。

 

くいだおれの街とは言うけれど

僕は大阪に行くと基本的に食の楽しみがないので、ホテルで過ごしたりすることが多いです。

たこ焼き、お好み焼き、串焼き等々、ブランド化に成功した食べ物は沢山ありますが、美味しい料理を提供してくれる店が街中に少ないな、という印象です。大阪で食べるたこ焼きよりも銀だことかの方が安定して美味しい、串カツ田中の方が大阪の店より清潔でサービスも良い、といようなうこともあり、これらの大阪ブランドの食べ物は東京で食べても遜色は無い気もします。

これは僕が貧乏性ということもあってでしょう。北新地のあたりとかをぶらぶら歩いていると、高級そうでかつ歴史もありそうな料亭等々のお店が立ち並んでおり、本当の意味で大阪の食を味わうのであればこういうところに行かないといけないのだなとは思います。

しかし、同じお金を使った場合、東京の方がリーズナブルに美味しいものは食べれるというのは、個人的な経験則による主観ではありますがそのとおりだと思っています。

 

東京のことを意識しすぎている

大阪でテレビをつけると、必ずどこかのチャンネルで「東京」をテーマにした番組が流されています。やれ東京人は冷たいだの、大阪の人の方が面白いだの、東京をこき下ろし大阪を持ち上げる番組がとても多い印象をうけます。

その反面、東京への関心の高さか、東京で新しく作られたおしゃれスポットについても多く扱われているように思えます。

逆の立場からの視点では、言うほど東京の人は大阪のことを意識している人は、僕も含め多くない気がします。都市の規模としても、大阪は名古屋、仙台、札幌、福岡などと並ぶワンオブゼムで、実際に存在感としてはそういう感じに落ち着いている気がします。文化や歴史の豊かさについては、京都と同じような位置づけとして尊敬して見ています。

 

大阪は日本の縮図では、の意図

色々書いてきましたが、僕は東京人における大阪は、世界における日本の立ち位置に近しい存在だな、と最近感じています。

文化的に閉鎖的で、周囲の諸国に伝わるステレオタイプのイメージは豊富には存在するが、それらはノスタルジーとほぼ同義に語られるものである。

街並みは古臭く、歴史があるとも言えるが、現代的な生活を志向する多くの都市型の住人としては不自由を感じることが多い。

やたらと他者、他人のことを気にしているが、それでも自分たちが一番だという根拠の無い自負があり、そのように宣伝しストーリーを紡ぐ多くの人がおり、大衆もそういう価値観を信じている。

 

東京の人が大阪に対して見る視点、抱く感情というものが、今のとくに勃興するアジア先進諸国の人たちの日本を見る視点と、近しいものがあるのかな。

と思い雑文ですがしたためてみました。

 

遜色

「遜色ない」など、よく知られる成語として当たり前のように使う語ですが、では「遜色」とはどういう意味か、僕は問われても答えられませんでした。

たまたま中国語の勉強をしていたときに「逊色(xun4se4)」という単語が出てきて、つまり日本語の「遜色」と同じ意味なのですが、この意味を調べてはじめて意味を知りました。

 

「遜色」は、日本語でも中国語でも同じ意味で、これで「劣る」というような意味のようです。なので「遜色ない」で、劣るところのない、肩を並べる、という意味が出てくるようです。

僕は原義を知らない間は「よくも悪くもない、同じくらい」というようにぼんやりと認識していました。僕の中では今まで知らなかったニュアンスがこの字に与えられ、軽い衝撃を受けた出来事です。

 

「逊色」を中国語の辞書で紐解いてみると

 不及之处、比不上、差劲。

と書かれており、「劣る」という意味をもう少し厳格化すると、他者にくらべて水準が及ばない、というニュアンスが強くなるようです。

それぞれ語を分解すると

逊: 指的是次、差的意思

色: 指的是品质

となり、「逊」が 劣るとか誰かに及ばないというような意味、「色」が品質というような意味、と分解することができるようです。

遜色の「遜」は謙遜の「遜」でもあり、遜色も謙遜も日本語でも中国語でもほぼ同種の意味を持っています。そういうふうに言葉をつなげていくと、意味が立体的に見えてきますね。

 

 

baike.baidu.com

 

フリーライター

数ヶ月前、会社でインタビューを受けたのですが、その聞き手の人がフリーライターの人でした。

いくつかテーマを設けて、それについてライターの方が聞き、僕が答える、という形式で行われました。

専門用語も飛び出すような比較的業界知識が無いと理解できない内容だったので「わからないことがあったら会話中でも後ででも、何でも聞いてくださいね」とお伝えしていたのですが、先方の質問に全力で答えてもライターは要領を得ない感じでしたし、わからないことがあるのか無いのかわからない状態でインタビューを終えました。

 

数週間後、記事が出来たというので確認依頼が来たのですが、いくつか致命的な問題があったので、結論から言うと僕がほぼ99%書き直しました。

致命的な問題とは以下のようなものです。

  • 事実関係が異なる内容が多い。主語となる人を取り違え、僕がやってないことを僕がやってることになってたり、その逆もあったり。
  • インタビュー中に話した内容の裏付けをしていない。専門用語について間違えた理解に基づく記述をしているし、出来事についてもライターが頭の中で想像してまとめてしまったので結果として事実ではない架空の出来事になってしまっている。
  • 文中の代名詞(私、僕、等々)や、用語を指す言葉のゆらぎが大きい。同じセンテンスなのに同じことを別の用語を使って書かれていて文章として自然に読めない。
  • 基本的な「てにをは」が間違っていて、自然な助詞の使われ方がされてない。

当時の事を思い出しながら自分でほぼ全文を添削したうえでその乖離を指摘し、結果僕の文章が採用されました。

 

僕の自慢話をしたいわけではなく、文章をまともに書けない人がライターを自称するに留まらず仕事にするのを辞めてほしいというわけでは少しあるけどそれを問題にしたいわけではないです。今回何が問題になったのかをもう少し文章化してみたいなと。

 

今回のインタビュー記事は、結果だけを見ると、ライターが介在する必要性が1%くらいしかありません。こういうケースでライターに仕事が依頼されるのは、以下を担保してくれることを期待しているからですが、それを満たしてくれなかったからです。

  • ただしい日本語で文章を作成することについての労力のアウトソース。
  • 専門家ならではの文章構成力。要約力。
  • 暗黙的なキーワード、重点・要点を抜き出し、それをわかりやすく他者に伝える能力。
  • 専門的な知見を基に、話者だけでは表現できない新しい観点や切り口を付加することで文章にさらなる面白さや深みを加える能力。

前者2つは、おそらくライターと呼ばれる人には最低限備わっていなければいけない職業スキルだと思います。それらをベースとして、優秀なライターを分けるポイントとしては後者2つが重要な要素になると思っています。

 

ただし、上記に無い要素として、こういう要素もあると思うのが以下。

  • 三者に意見を引き出してもらい、まとめることで、公平性を担保する。

正直、今回のインタビューも、会社として例えば僕の文章をそのまま提示すれば体裁が整えられたわけで、そういう意味でライターは不要だったケースだと思います。

しかし、体裁的には、「ライターの方がインタビューした」という体裁が保てたほうが、公平性が保てているのではないかという誤解や錯覚を与えることができるのかな、とも思います。これが、ライターが存在する価値があった1%の理由です。

もちろん、今回は文章のほぼすべてを書き直したので、実質的には意味がありません。

 

公平性も、ただ単にアリバイ的に第三者を立てるという行為は、本来的には意味は無いと思っています。

社会において、組織や組織を取りまく状況において、その分野において、「主語」となっている話者と、「第三者」である環境がどのような立ち位置であり、どのような価値観をもって物事が行われており、そのなかで話者がどのように主張しているのか。それらをそれぞれの立ち位置で「公平」に俯瞰できる能力こそが、本来的には求められるのかなと思います。

端的に言うと、話者の話すことを唯々諾々と聞き入れ垂れ流す、出来のわるいスピーカーのような役割では足らないということなのだと思います。そして、ライターが事実に則さずに自分の主張をただゴリ押ししてねじ込むのも少し違うと思っています。

 

 

現実問題として、上記のような要素を満たしているライターの方は、どの程度世の中に存在するのでしょうか?

実は今回のようなケースは初めてではなく、以前も同様のクオリティに遭遇しインタビュー記事自体をなかったことにしてもらった事もあります。

本当にすごいなと尊敬する人も多数いるなか、基礎的な文章能力について疑義を感じるケースもあります。

結局は、文章の作成能力や読解能力など基礎的な能力の話になるのかな、という思いもあり、以下のような本を思い出し暗澹としてしまうこともあります。 

AI vs. 教科書が読めない子どもたち

AI vs. 教科書が読めない子どもたち

 

 

 

ルポ川崎

 

ルポ 川崎(かわさき)【通常版】

ルポ 川崎(かわさき)【通常版】

 

 中国政府が公認する少数民族は56あるのですが、その中でも四川省雲南省近辺を居住の地としている彝族(イ族)はオリエンタリズムと郷愁を感じさせる民族衣装が人気です。

イ族の居住地は観光地化されており、民族衣装を纏ったイ族の方々はたいへんフォトジェニックであり、観光地として中国人や海外の方にも人気のようです。

ただし、これは中国出身の方に聞いたのですが、実際は、民族衣装を着ている人はベトナム人の出稼ぎが多く、多くのイ族の人は他の地域の中国人と同じような文明的な生活を送っている、とのこと。聞いてみて、まあそりゃそうだろうとは思います。

観光客はバスで大挙して訪れ、珍獣の姿を楽しむかのようにイ族(の衣装を着たベトナム人)の姿を眺め、満足して帰っていくとのことです。

イ族のために、そういうステレオタイプのイメージづくりが行われ、結果として商売として成立し、それがために出稼ぎ労働者もやってきて、さらに経済が回る。

 

ちなみに、私は川崎市出身者です。川崎といっても北部地域(宮前区)の人間なので、この「ルポ川崎」という書籍で書かれている川崎区、とくに桜本あたりの住人ではありません。

それでも他の地域の人よりはこの本に描かれている場所については知っているように思えます。サイクリングで多摩川沿いをよく走りましたし、いわゆるピンク街的な箇所は卓球部の試合で川崎市体育館に出向く時のショートカットルートでした。 

 

この「ルポ川崎」という本に出てくる人たちは、親がヤクザであったり、中卒で不良になったり売春的なことをしているような人たち、半グレのラッパーの人たちなどが登場してきます。以前話題になった多摩川河川敷での中学生殺人事件についても冒頭から取り上げられており、彼らの環境を取り巻く複雑な家庭事情も含めた、つまりそういう「我々一般人とは異なる人達」が生息している、ある意味ゲテモノ小屋的な味付けとして「川崎」という町が語られています。

まあ、そういう人が、数の多寡によらず存在するのは事実なのでしょう。それは川崎以外の街にも生息しているし、川崎にも生息しています。同様に、この本に登場するような人たちとは毛色の違う、どの日本の街にもいるような「普通」の人が川崎にも大多数居住しているのは言うまでも無いことです。

私の川崎出身の知り合い、友達にも、上記のような人たちは一人もいません。

別にそういう人たちと自分は違う、と差別・区別を積極的にしたいわけではないのですが、居ないのも事実です。大多数の川崎市民も、同じような感想を抱くのではないかと思います。

しかしそれでは本にならないしお金にならないので、せっかくあんな事件もあって注目されているのだから、2ch レベルのステレオタイプのイメージで物事を語ろう。

 

そういう、ステレオタイプ・先入観を前提とした決めつけ、誇張が、当書の冒頭から前半にかけてはありありと伝わってきます。読者をひきつけてなんぼの世界ですから、しようが無いのかなと思います。

後半にかけて、著者も川崎区南部の人たちと知り合いも増え、より川崎という街を正確に伝えようという意識に変わってきている様に見え、ステレオタイプの枠から外れた街の姿を多面的に伝えようという努力は見られます。

しかし、この本が、川崎への固定観念を増幅させて伝える以外の効用は、やはり特に無いように見えます。

 

以前、足立区で凄惨な殺人事件が起こった際、足立区の実情を誇張し「危険な街」という噂が独り歩きしたのを我々は眺めてきました。最近では福岡県の「修羅の街」というのもそのたぐいでしょう。

こういう噂話をコンテンツとして消費したりするのが大好きな人がいるのは理解します。

もちろん、事件が発生する背景には、それなりの環境やその地の力学的なものが働いた結果ではあると思いますし、何かしら特徴的な状況ではあるのだと思います。しかしそれは日々移ろうものですし、一つの重大事件があったからと言って住民皆がその犯罪者と同質というわけでは当然ながらありません。

読者の視点では、ある印象的な事件や出来事のイメージを誇張しネタに商売にしてお金稼ぎをしようとしている人たちの存在を忘れてはいけません。

イ族の民族衣装を着ているベトナム人の出稼ぎ労働者のように、かつて存在しかつ皆が信じているイメージを守るため、もしくはそれに依拠して、その土地の居住者のリアルとは乖離したステレオタイプを伝え続ける努力をしている人たちの存在を忘れてはいけません。

 

この「ルポ川崎」の本の中ではあまり触れられていませんでしたが、例えばいわゆるヘイトスピーチを行う人たち、そしてそのカウンターとして活動している人たち、両者いずれについても、僕は「居住者のリアル」とかけ離れたものを感じますし、居住者不在な状況になっているように思います。この感覚は、多くの人に同意してもらえるのではないかと思っています。