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他人に傷つけられた人の、その気持ちの辛さは理解できるし、それが故に物事に対してネガティブな視点しかもてなかったり、一歩踏み出す勇気がどうしても出せなかったり、よくあることです。そんな状況も出来る限り慮りたいなと思ったりするのは普通のことかなと思います。

しかし、傷をついたからといって、そのことにずっと甘え続けてていいものだろうかと思ったりもするし、とはいえだからといって「立ち直る」事を強制することもまた違う話かなという気もします。いずれにせよ、人生は誰かがその人の代わりになることは出来ず、たとえどのような境遇に陥ったとしても自分自身がどのように生きたいかを選択し、前に進む(もしくは立ち止まる)しかないのだと思います。

 

実際は、そこまで客観視しすぎず、中島みゆきの「空と君とのあいだに」の歌詞のような事を話したりすることが多いですが...

憎むことでいつまでも あいつに縛られないで (「空と君とのあいだに」)

 

逆に、相手を傷つけたくないと強く思った場合、人間が生きて何かしらの行動をする限り周りの誰かにどうしても良い意味でも悪い意味でも影響を与えてしまうのは避けられないです。

たとえば、善意があろうと悪意があろうと、電車に乗るだけでも満員電車を構成する一要素になることで見知らぬ誰かに迷惑をかけるかもしれないし、満員電車でグッと踏ん張って起立することで誰かを助けることになるかもしれない、といったことです。

社会的生物として生きている以上、誰か他者に何かしらの影響をあたえることは避けられず、場合によっては過度なネガティブな影響...つまり相手を傷つけてしまうことだって避けられないのだと思います。

僕は最近は感性が衰えてきて、以前よりは鈍感になったことで、誰かを傷つけてしまうかもしれないという「恐怖」を克服できている気がします。もちろん、ただ、そう言うケースを直面してないだけで、怖さを一時的に忘れてるだけな気もします。

 

誰も傷つけずに済む方法があるとしたら......

そんな事を歌った歌が、昔あったことを思い出しました。

誰の心も傷つけずに済む道が あるとすれば

自分がもの言わぬ 石ころになること

それしか思いつかない(「明日檜」)