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万葉集を読む

万葉集というと、中学や高校の国語・古典の授業で勉強した、堅苦しい感じの詩集というイメージがあります。

堅苦しい、というのは、授業のやり方が無味乾燥で、万葉集自身の歴史的な重みとか、枕詞とか古語の活用とかを暗記式に勉強させるあまり、詩の魅力について語ってくれる先生が少ないから、そう誤解している部分も有る気がします。

 

義務教育の授業でも習っている気がするのですべての日本人が知っていることとして、万葉集には「相聞歌」というジャンルがあり、堅苦しさとは真逆な、恋愛をテーマとした軽快な歌も数多く掲載されています。

今の視点でそれらを見返してみると、思わず吹き出してしまうようなゲスい、もしくは単にイチャコラしているだけの歌があったりして微笑ましいです。

 

その中で、大伴田主と石川女郎のやりとりについては、やはり皆印象に残るのか、ググってみても多くのサイトがヒットしました。

やりとりを見てみると

先手:石川女郎
風流士と 我は聞けるを

 やど貸さず 我を帰せり

  おその風流士

口語訳は、以下のようにすばらしいサイトがまとめているのでリンクを貼りますが、

風流士(みやびを:教養ある風雅の士)として名高い田主に対して、石川女郎が猛烈にアプローチ?したのに、家にも泊めてくれない、なんて無粋なんでしょ、と拗ねているように見えます。

それに対する返答

後手:大伴田主

風流士に 我はありけり

 やど貸さず 帰し我れぞ

  風流士にはある

「そう、私は粋な男だよ、だって、あなたを泊めなかったから」

据え膳食わない、誠実(?)な男性だ、という風に解釈することもできるし、「あなたみたいな女性を相手にしないのが粋な証拠」というように解釈することもでき、返しとしては流麗とはいえ相手の神経を逆なでしそうな回答です。

そして、再度、石川女郎から痛烈な返歌が返ってくるわけですが、詳しくは以下のサイトの解釈などを読んでみてください

 

今風にいえば LINE のやりとりを覗き見しているかのような、単なる男女間のいざこざ、痴話喧嘩にしか見えないこんな詩の数々が、千数百年の後の世にも語り継がれるとは、、当の本人達は考えてもいなかったことでしょう。

そして、いつの世も、そこに居るのは人間同士、今と言葉遣いは違っても、本質はそこまで違わないんじゃないかな、と思います。

 

相聞歌を見ているといろいろニヤニヤしてしまう歌も多いですが、僕個人的には「挽歌」と呼ばれる、亡くなった人を歌った詩が一番好きですし、心に響きます。

後世の、平安貴族の浮ついたように見える詩作にくらべて、万葉集に掲載されているそれは、無骨で簡潔で、それでも人間の本質をとても表しているようで。

世間(よのなか)は 常かくのみと かつ知れど

 痛き心は 忍びかねつも

大伴家持が、妻が亡くなった時に詠んだとされる詩です。

世の中は、常にこういうものだとは頭ではわかっていたけれど、妻をなくしたこの悲しみは、耐えることはできない...

 

今も昔も、人間の本質というものは変わらない。そこに居るのは人間同士、今と言葉遣いは違っても、本質はそこまで違わないんじゃないかな、と思います。

 

 

万葉集 全訳注原文付(一) (講談社文庫)

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