選択しないという選択
選択しないという選択: ビッグデータで変わる「自由」のかたち
- 作者: キャスサンスティーン,Cass R. Sunstein,伊達尚美
- 出版社/メーカー: 勁草書房
- 発売日: 2017/01/28
- メディア: 単行本
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Web サービスやアプリなどで、使用時に選択を強いられる事は多いと思います。
その際に気の利いたデフォルト設定がなされていると便利ですが、選択肢を奪われたもしくは強制された不快感というものも同時に感じがちです。
その辺のテーマを、行動経済学で著名な筆者がまとめた書籍です。
全編を網羅的に総括するような感想は難しいですが、気になったところをいくつか。
会社の休暇の例として、二週間の休暇を得るときに、
A「二週間の休暇が得られる代わりに給与を減給する。その際に妥当な金額はいくらか」
B「二週間の休暇を返上する代わりに報酬を与える。その際に妥当な金額はいくらか」
の2つの選択肢についてアンケートを取った際、前者の中央値は6000ドル、後者は13000ドルだった。つまり、既に所有しているものについて、人は高めに価値を設定しがちであるということ。
すでに人が何かを所有するかどうかはデフォルト・ルールにより決まるため、そのルールの設定は気を使う必要がある。
選択肢にはおおむね3種がある。
- 個別化されていないデフォルトルール
- 能動的選択
- 個別化されているデフォルトルール
集団が多様でない場合、選択するとうい行為を楽しめない場合、個別化されてないルールで皆を満足扠せられる場合は1。
集団が多様で選択するという行為を楽しめる場合は2。
集団が多様で、選択が負担の場合は3が理想。
基本的には、選択という行為に対しては「選択にかかるコスト」「得られるベネフィット」のバランスによって、どのような選択肢が提供されているのが望ましいか決まるのだと思います。
ただそういう合理的判断だけではなく、その選択肢がもつ社会的メッセージ(エコを実現するためにコピー用紙は両面印刷をデフォルトに、等)も選択肢の選択には影響を及ぼす、とのことでした。
「個別化されているデフォルトルール」とはつまりパーソナライズされたデフォルト選択肢ということになります。
ビッグデータや、ユーザーの行動データの解析により、そのユーザーに最適なデフォルト選択肢を提示することができるだろうという期待値から挙げられているものかなと思います。
実際にニュースアプリは年齢や性別などのデモグラデータにより購読するニュース記事が選別されたりしますし、最近はこういう「個別化されたデフォルトルール」という選択肢も増えてきているのかなと思います。
こういう内容を見てふと想像したのは、日々の行動のすべてがトラッキングされて、購買行動や、発言、思索、その他もろもろの内容から、その人が支持すべき(支持することでその人の利益が最大化されるような)政治家や政党が自動的に峻別されて、デフォルトでその人に投票される未来です。
周りの目線やしがらみ、見栄などもあって、本来自分が投票したいと思っている人に投票しないこともあるかもしれません。もしくは、その乖離に自分が気づかないということもあるかもしれません。
上記のようにその人にふさわしい候補者への投票がデフォルトになる未来は、100%間違いなく運用できたとしたら極めて少ない労力で利得を得られるのかもしれませんが、多くの人が納得できるようになるには相当な時間がかかるように思います。
いかに不合理でも、人間が自分自身で「正しい」「合理的」と信じ込んでいる選択を能動的に行わせる、という行為自体はしばらくなくならないのではないかなと思います。