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徹底検証「森友・加計事件」――朝日新聞による戦後最大級の報道犯罪

 

 この本の著者である小川栄太郎氏は、Wikipdia から引用する過去の著作からもわかるように、非常に安倍総理と距離が近い作家です。

小川榮太郎 - Wikipedia

『約束の日 安倍晋三試論』(2012年、幻冬舎、のち文庫)
『国家の命運 安倍政権奇跡のドキュメント』(2013年、幻冬舎、ISBN 9784344024014)
『『永遠の0』と日本人』(2013年、幻冬舎新書〉、ISBN 9784344983328)
『最後の勝機 救国政権の下で、日本国民は何を考え、どう戦うべきか』(2014年、PHP研究所、ISBN 9784569812786)
『一気に読める「戦争」の昭和史 1937-1945』(2015年、ベストセラーズ、ISBN 9784584136676)
小林秀雄の後の二十一章』(2015年、幻冬舎、ISBN 9784344028067)
天皇の平和九条の平和 安倍時代の論点』(2017年9月、産経新聞出版、ISBN 9784819113182)
『徹底検証「森友・加計事件」 朝日新聞による戦後最大級の報道犯罪』(2017年10月、飛鳥新社、ISBN 9784864105743)

放送法遵守を求める視聴者の会」への関わりや、憲法改正に対する立場などからも、安倍総理と考えが近い人であることが伺えます。

 

じゃあ、安倍総理のお仲間が書いた本だからこの本は偏った思考で埋め尽くされた読む価値が無い本なのか、というと、一切そういうことは無いです。

たとえば、自分の家族や大事な友人が理不尽なバッシングにあったり、職場でのパワハラや学校でのいじめなどハラスメントにあっているときに、それを守ろうとした場合、子供じみた罵詈雑言で対抗するでしょうか?

本当に憤っていて、絶対に守りたい、勝ちたいと思うなら、徹底的に自分たちに否が無いこと、相手に非があることを証明するために、客観的に証拠を積み重ね、妥協せずさまざまな事実を調べ上げ、論理的破綻がないように自分たちの意見を積み上げます。

 

この本は、まさにそういうタイプの本なのではないかな、と思います。

最初から最後まで、事実を丁寧に積み上げて築かれた、論理的な構成になっています。

 

とはいえこの本に書かれているのは安倍総理側、安倍総理に親しい人の主張する意見です。

当然、逆の立場の意見もありますし、それは法定の場で、フェアにお互いがエビデンスベースで議論をし、着地点を探せば良いのだと思います。

実際、朝日新聞は大川栄太郎氏に申入書を送り反撃していますし、この本で記載されていたことの何が事実で何が不正確なのか、国民の目の届く中で法律に基づいた正々堂々とした方法でフェアにやりあってほしいなと思います。

www.asahi.com

農民工

中国には都市戸籍(非农业户口)と農民戸籍(农业户口)の二種類の戸籍があり、都市戸籍を所持するひとは4億人、農民戸籍は推定で9億人いるといわれています。

そして、戸籍によって様々な制限があり、基本的に都市戸籍を持たないひとは都市(北京、上海など)に土地を所有し定住することは難しいと言われています。そして、今までは、たとえば農民戸籍を所持するひとが都市戸籍を所有するのは難しいとされていました。

中国では都市部と農村部では貧富の格差が日本では想像できないくらい大きいため、農村部の多くのひとはお金を稼ぐために都市に出稼ぎに出たり、安い粗末な部屋に住み定住したりしています。彼らのことを「農民工」と呼び、都市戸籍のホワイトカラーが行いたがらない単純労働で低賃金の作業を担う労働力となっています。農民工はおおよそ3億人いると言われています。

 

実際のところ、戸籍を一つに統一しようという動きは現在進行形で行われているようです。

といっても Baidu のページなどを見ても、戸籍の緩和制作は新疆や貴州などの偏狭な地域で行われており、上海や北京などでは逆に締め付けが厳しくなっているようです。

baike.baidu.com

 

といったあたりの話は、ちょっとでも中国の情報をかじっているひとであれば誰でも知っている内容で、その内容を補完する意味でいくつか本を読んでみました。

 

戸籍アパルトヘイト国家・中国の崩壊 (講談社+α新書)

戸籍アパルトヘイト国家・中国の崩壊 (講談社+α新書)

 

 本書は、最初の方では実際に農村に訪れて、GDP を嵩上げするために無用と思われる過度な開発を行っている現場についてのレポートや、都市戸籍と農民戸籍によって最終学歴の顕著な差があることをグラフで可視化したりしているところは参考になりました。

しかし著者の思い込みの強さからデータが不十分ななか極端な結論を振りかざす部分も見て取れ、彼の全体的な著作の信憑性にも悪影響が出るんじゃないかと不安になる内容でした。

 

 

農民工のここ10年の実情については、以下の書籍が参考になると思います。 

3億人の中国農民工 食いつめものブルース

3億人の中国農民工 食いつめものブルース

 

ライターとして上海に在住している著者が、数多くの農民工と交流をすることで彼らの実像を描き出そうという、エッセイ的な書籍です。

農民工の日々の生活や、都市戸籍を持つ人間から向けられる容赦のない差別的な言葉、それらを受け止めてそれでも生きるために必死にもがいている姿などが生々しく描かれています。

個人的にびっくりしたのは、シングルマザーの子供は戸籍が認められず、かつ巨額の罰金を課せられるという事実。現在はたとえば高速鉄道を乗るのにも中国では戸籍を証明する身分証が必要ですが、戸籍が存在しないということは移動の自由すら与えられていないということを表します。本来愛し合っていたはずなのに、自身が農民戸籍であったが故にパートナーの両親に結婚を拒まれ、それでも子供を産み落とした結果経済的に転落していく様は衝撃的でした。

 

著者は10年ちかく上海に滞在し、農民工の方々とも長期的に関係を築いてきたようです。

その中で描き出される今昔の対比も印象的でした。

昔は都市戸籍のひとふくめ皆がそこまでお金をもっておらず格差が明るみでなく、農民工のひとたちもある程度の夢とゆとりをもって生活しているようでした。

それが中国の発展にともない、地価が上がり、物価があがり、土地の所有権をもっている都市戸籍のひとは再開発地域に選ばれると高い補填金をもらって成金になったりするひとが数多くいる中、農民工は仕事も減り給与も下がり、みるみる生活に困窮していく様が描かれています。

そして、政府は大都市からは農民工含め不適切と判断する人たちを追い出しにかかっているようです。かれらに対する救済措置は不十分なまま、あるひとはアフリカに出稼ぎにでかけ、あるひとは地方都市をさまよい、漂流する様も描かれています。

 

そんななか、著者は面白い指摘をします。

自分はいろいろ理不尽なことがあったら怒るし、上海にいてもよく怒っているけど、農民工の人はあまり怒っているようには見えない。と。

その理由をいくつかのエピソードで紹介されていましたが、基本的には、農民工の多くは中国はいま右肩上がりで経済成長していて、彼らの生活も我慢して働いていればきっと将来は良くなるはずだ、と信じているから。

しかし都市戸籍の人が土地成金的にお金をてにする中、自分たちにはそのような拠り所もなく、仕事も減り、給与も下がり、そのうえ物価はびっくりするくらい高騰して、生活への困窮は避けられません。

それでも、ある人は CCTV などのテレビの報道内容を信じ「中国は世界に冠たる大国になった」ことを自分の心の支えにしたりしています。

それでも、まったく改善しない生活に疲れ、日々の愚痴が増えたり、学習意欲や勤労意欲をなくしたり、そんな絶望感に苛まれ始めている農民工の姿も描かれています。

つまり、怒りが無いように見えるのは、将来への希望があったから。それらが失われたときに、その怒りは、どこへ向かうのでしょうか。

 

同じ中国で、同じ都市で生活をしているにも関わらず、ここまで人間模様が異なるのか、と驚きを隠せません。

そして、都市の発展に取り残された彼らが、何かをきっかけに捨て身の行動に出ることも、確かにそんなに絵空事ではないようにも思えてきます。

 

 

 

世界をつくった6つの革命の物語

 

世界をつくった6つの革命の物語 新・人類進化史

世界をつくった6つの革命の物語 新・人類進化史

 

 

一年前くらいに邦訳が出た本にようやく辿り着いたのですが、とても面白かったです。
ここ100年前後のあいだに起こった、人類を不可逆に進化させた6つの発明について独特の視点で解説している本です。
その発明とは「ガラス」「冷たさ」「音」「清潔」「時間」「光」

 

地球上のどこにでもある珪素を加工することにより人間は古来から小さいものや遠くのものが見えるようになり、大きく科学・化学が進化することに寄与しました。近代ではその光を通す性質から世界中のインターネットを支えるケーブルや液晶ディスプレイの基になり、ガラスは我々のIT生活の根幹をなす替えの効かない存在になりました。

 

冷却技術が存在しないころ、食料保存の問題、熱帯地方での居住の問題があり、今よりもずっと狭い範囲にしか居住できませんでした。人工的に冷やす技術が生み出されたことにより我々は熱帯地域でも居住することができるようになり、さらに卵子の保存に応用されるなど人類の生命誕生の選択肢を大幅に広げています。

 

音を遠くの人と共有することができるようになりコミュニケーションが高度化し、娯楽としての音楽が爆発的に普及しました。同時に小さな音を拡散する技術により多くの政治家がそのメッセージを伝えることにより世の中に変化がもたらされました。

 

清潔という概念が発明され、水などの汚染が疫病の原因であることが突き止められることにより、今まで人が密集しすぎると衛生問題が発生し突破できなかった人口の限界点を超えることができるようになり、大都市が成立できるようになりました。

 

時間を正確に測ることができるようになることで海路で自分がいる場所を正確に測定できるようになり、行動範囲が広がりました。また、同じ場所に同じように人が集まることができるようになり、労働生産性が向上しました。その技術は今は原子時計となり、その応用としてGPSのように世界中の位置測定にも活かされています。

 

光を人工的に容易に作り出せるようになったことで生活習慣が変わっただけでなく、レーザー光線の発明によりバーコードが生み出され大量の商品管理が行えるようになり経済が飛躍的に発展し、今は人工的なエネルギー源としての開発が行われています。

 

これらの発明は、すべてここ100年前後のあいだにもたらされたもので、それらの発明はひとつでも存在しなければ我々は今のように現代的な生活を送ることができないものです。

これだけ短い間に人類には多くの進化がもたらされていること、そのことにより居住可能な場所が増え、人口が飛躍的に増加し、我々の生きる選択肢が多様になっていること。

この本を読むと今では当たり前のように周りにあるものの存在の大きさを感じさせずには要られません。

そして、これからのイノベーションというものを考える上でも、参考になる示唆が沢山含まれている書籍だと思います。

たとえば昨今IT系で騒がれているブロックチェーンや中国での電子決済の仕組みなどは皮相の技術でほんとうの意味ではイノベーティブではなく、では何が長期的な視点でイノベーティブなものなのかというと例えばゲノム編集とかiPS細胞とかそういうものなのであろう、というような抽象的で根源的なものへの思索を巡らすことができます。


実は僕は数年前にたまたまNHK BS でやってた ”How We Go to Now” (日本訳は「いまに至る道」)という、アメリカ作の、顔立ちの整った論理的な話し方をする科学者が進行役のドキュメンタリーを見て、とても面白い内容だったのでそのときに再放送を全話録画しました。

その進行役の人が実は本著者のスティーブン・ジョンソンで、今改めて思うとこの本に取り上げられていたのと同じエピソードが当時の映像や現地取材をもとに描かれていました。この本を読んでその記憶が蘇り、あらためてそのドキュメンタリーを見返したりしています。

我々は良質な情報に実は囲まれているのに、意外と意識をしてないし気づけないものだな、というようなことも感じたりしました。

 

誰かが不幸でないといけない人たち

元は弱者を救済したいという気持ちから社会悪や不平等に立ち向かったのかもしれない人たちが、弱者の立場に立ち続けるうちに、「弱者は可哀想な存在で、それらを生み出す悪い人たちがいる」という前提でしか世の中を正当化できなくなってしまう人が少なからずいるように思います。

そして、そのように弱者を救い、悪い人たちを否定することでしか自分を正当化できなくなると、そういう人たちはこういうジレンマに陥ります。

「弱者は弱者のままで居てほしい」

でないと自分の存在意義がなくなる

 

「社会悪や不平等はいつまでも残り続けてほしい」

でないと自分の存在意義がなくなる

 

こういう人たちは、弱者を救っているつもりでいるかもしれませんが、実際は弱者を利用しているだけです。

実際に、弱者救済を旗印にしているものの、実際の当事者のことを考えてなくて「弱者を助けるオレ格好良い」とアピールする材料程度にしか考えてないだろうと思わせる出来事も多いです。

 

でも、その人は良いことをしていると思い込んでいるし、社会的な通念にもうまく取り入っているので、周りは否定がしづらい。

建前や飾りにしか過ぎない社会正義が、本音や実質を圧殺し封殺する。

こういうのが蔓延すると、取り返しのつかない社会の歪みが生まれてしまうようにも思います。

 

個人的には、距離をおく、程度のゆるやかな対抗策しか思いつきませんが、SNS の普及によりよりこういう傾向が強まり、息苦しい世の中になってきてないかなと懸念します。

 

この文章を書くにあたっていくつかの具体例に対する怒りが動機ではあるのですが、そのことを取り上げるといろいろ波風たつので書きません。

 

ダークサイド・スキル

 

ダークサイド・スキル 本当に戦えるリーダーになる7つの裏技

ダークサイド・スキル 本当に戦えるリーダーになる7つの裏技

 

この本は最近読んだ経済書の中では抜群に面白かったです。

「ダークサイド」とか「裏技」という風な書き方がされているので、本来やるべきではない若干汚いやり方で世の中を渡り歩く方法について書いてあると思ったのですが、実際はある意味王道の、それでもあまり経済書では表立って書かれない泥臭いスキルについて書かれていた本でした。

 

7つのダークサイドスキルが紹介されているのですが、そのスキルの表題も、ちょっと刺激的な単語を意図的につけているだけで、実際は硬い経済誌でも書かれているような項目だったりします。

たとえば「KYな奴を優先しろ」という項は、今風にいうとダイバーシティについて書かれていた項です。あうんの呼吸で予定調和的に話が進むよりも、KY的に見えても是々非々で物事に取り組む人が組織では重要で、多種多様な意見が出てこないとイノベーションが産まれない。という話で、これは現代の職場で「多様性」が重視される文脈とまったく同じに思えます。

 

そんな風に読ませる工夫をしながら、この本は通り一遍の経済書には書かれない現場の修羅場をくぐり抜けてきた人でしかかけない思索のあとが色々感じ取れ、記されています。

7つのスキルについて覚える本というよりも、筆者の仕事における理念や信念みたいなものに感化されることが多い書籍だなと感じます。

たとえば、上記と同じく KY の項で、無邪気に自分の気持ちだけにしたがって KY な発言をしている人は重用されなくなるので、「自分が KY な発言をできるようにするためにも根回し(本書では CND =調整、根回し、段取)が必要だ」という話が目から鱗でした。

 

他にも、気になるセンテンスをいくつかピックアップしてみます。

私の尊敬する経営者の一人に、JFEホールディングス元社長の數土文夫氏がいる。彼は常々、部下に対して「皆さんの今日の活動は、PLのどこに紐付いているのか説明できますか。」と叱咤激励していたそうである。要するに、売上を上げるための活動、コストを下げるための活動、このどちらでもなければ、その日一日の活動は付加価値を生んでいないことになるとの意味だそうだ。

 

自分の心の奥底にある原点、価値観とは、別の言い方をすれば自分は何によって動機づけられているのか、ということになる。

(中略)

たとえば、異性関係にだらしないとか、名声に弱いとか、お金にルーズな面があるとか、ギャンブルに目がないとか、組織の中での出世欲など、人それぞれ、みんな誰でも下世話な欲望を持っている。

(中略)

まずは自分の煩悩は何かということをしっかりと自覚すること。自覚した上では逆転の発想で、それを自分自身の中で与件とすることが求められている。

 

あちこちに顔を出してご機嫌伺いをする廊下鳶をやっている人ばかりが出世する会社は、やはりどこかおかしいわけです。西郷隆盛が言うように、金も名誉も、そして地位も要らない。こういう奴が一番使いにくい。でも、それはその人がそれなりの生き方を持っているからで、それが何より大事なんですね。

 

この本の基本スタンスは、旧態然とした非効率でうまくいっていない組織をいかに立て直すか、という視点で書かれているように思います。そのために様々なダークサイドスキルを駆使して、強い個・強い組織を作っていくことが必要、と僕は受け取りました。

うまくいっていない組織を立て直したい人が読むと、変えていこうという活力が得られる本でもあるなと思います。

 

 

リストラクション

たまたま普段見ないフリースタイルの動画を見ていたら、R-指定とDOTAMAのフリーラップ合戦が上がっていて夢中で見てしまいました。

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フリースタイルって単調なリズムに乗せて適当に韻を踏んでいるだけだと誤解してました。もちろんそういうレベルのものもあるのでしょうが、R-指定と DOTAMA のこのレベルまで行くと自分の人間性や生き様そのものを全部真っ裸にしてさらけ出して、自分以外頼れるものがない中で雄々しく自分の存在を証明する行為なんだな、と思わせます。

個人的には、関西弁をベースとした豊富なリリックとライムで魅了するR-指定も捨てがたいですが、何故かサラリーマンスタイルでダミ声から遠く離れた甲高い声で、若干ワンパターンだけれど畳み掛けるように自分を表現する DOTAMA の方に興味がひかれます。

 

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フリースタイル中心の人のソロの楽曲はあまりフリースタイルのときほどの迫力と面白さが無いことも多いのですが、DOTAMA は楽曲として聴いても面白いですね。

この「リストラクション」も、5・7・5の日本的なリズムをベースに、標語的にも聴こえるよくある単語の羅列を重ねていく作品で、正直病的にも感じられますが、癖になる一曲です。

 

ヒップホップというとハングレの人たちの文化というイメージが強いですが、そういう変な色にそまらない DOTAMA みたいな人が居ると安心できますね。

石川啄木正岡子規が今の時代に生きていたら、意外とこういう世界に生息して、自らの言葉を生み出す活動に身を投じていたんじゃないかな、と思ったりもして、フリースタイルのヒップホップは少し聴いてみようかなと思っています。

 

山本直純と小澤征爾

 

小澤征爾と山本直純 (朝日新書)

小澤征爾と山本直純 (朝日新書)

 

「音楽のピラミッドがあるとしたら、オレ(山本直純)はその底辺を広げる仕事をするから、お前はヨーロッパへ行って頂点を目指せ。」

帯にもあるこのセリフの通り、日本におけるクラシックの大衆化に尽力をされた山本直純さんの功績を、盟友とも言える同世代の小澤征爾さんの功績と並べて振り返る書籍でした。

 

僕にとっての山本直純さんは、出会いは「一年生になったら」、少年期には合唱曲として有名な「おーい海!」や「ミュージックフェア」のテーマ曲という感じでしょうか。

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「おーい海!」はとてもキレイで歌いやすいメロディラインで、歌うのが結構好きだった思い出があります。

そして、さだまさしを聴くようになってからは、過去を振り返る形で「親父の一番長い日」のきっかけを作った人という認識も持つようになりました。

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僕は、生まれる前だったということもあり山本直純さんの全盛期の印象が無いので、逆に流行作家というイメージがなく、親しみやすい楽曲やクラシック曲を作り出した人というイメージが強いです。

 

この本は、そんな大衆的な作曲家であったと思われている山本直純さんが、いかに稀有な才能の持ち主で、いかに日本のクラシック界に貢献をしてきたかを熱い筆跡で語られています。書いている方もクラシックが本当にお好きなことが伝わり、熱量強く山本直純の偉業について様々なエピソードを基にまとめられています。

 

特に僕が知らなかったのは、山本直純さんは父親も優秀な音楽家で、大変裕福な家庭出身で、子供の頃から自由学園で音楽の英才教育を受けていた、ある意味ボンボンのご家庭出身なんだということ。

逆にそういう境遇出身だと思われてしまう小澤征爾さんが満州生まれの比較的一般家庭出身で地道な努力と苦労を重ねてきたことと比べると、世間のイメージとちょうど真逆な感じを受けてしまいます。

ある意味常識を壊すような自由奔放さを発揮している山本直純さんですが、環境が恵まれていて初めて得られる自由さなのかな、と感じたりもします。

 

個人的には、山本直純さんの功績というのは流行曲作家としてもクラシックの裾野を広げる活動においても十二分に多くの音楽好きに伝わっていると思っていますが、この本は繰り返し繰り返し「この凄さが伝わらないのは悔しい」と書かれています。同世代をともにした人たちにとっては僕達が想像するよりもはるかに山本直純さんへの思い入れが強く、「彼の凄さはこんなものではない」という思いが強いのだな、と感じるところがあります。

こういう方々がいるうちに、この本などを通じて、山本直純さんの功績やその思いというものが、より多くの人に正しく伝わると良いな、と思ったりします。