リファレンスとしてのCDショップの価値
結論として、なくなってきたのだろうな、と思っています。
最近現代音楽に興味を持ち始めたので、先日、シュトニケのピアノのCDを買おうと思って渋谷のタワーレコードによって気づいたのですが
という感じでした。
いろんな店員数人に聞きまくって、ようやく辿りつけました。
それ以前に、「現代」音楽が「古典」音楽のひとつとして扱われる事に、壮大な自己矛盾を感じます。
タワレコ渋谷店だと、最上階の7Fにクラシック音楽のコーナーがあるのですが、7階に置かれているのが
- クラシック
- ワールドミュージック
- 落語
となっており、とりあえず旗艦店としてカテゴリを網羅しなければいけないが売れないので隅にまとめて寄せましたみたいな感じになっていて、悲しくなりました。
現代音楽は、その「売れないズ」の仲間にすらさせてもらえず、「現代」なのに「クラシック」扱いされていて悲哀しかない。
もちろん、上記の「現代〜」の件は、おそらく以前からずっとそうで最近の話ではなく、本気で悲哀を感じているわけでもなく、9割方ネタです。
しかし、たとえば、ワールドミュージック棚には日本のコーナーもあるのですが、和楽とともに、某宗教団体系の読経関連のCDが沢山置かれており、結局、彼らがやっているのは情報の整理ではなく、商売であり、売れるものをひたすら目立たせるしかないのではあろうな、と思います。
そして、音楽のカテゴリの氾濫や混乱については、あまり気にしてないのだろうな、と思います。(「現代〜」や「宗教」の話以外に、「J-POP」「ニューミュージック」的な話もありますね)
それによる弊害というか、限界というのは、CDショップはリファレンス的な役割を果たすのは難しいということかな、と感じます。
たとえば図書館、たとえば多くの書店、そういった、情報との接点や索引付の役割を、たとえ有名大規模ショップでも果たすことは難しいのだろうなと感じたりしました。
僕にとっての、最近の音楽のリファレンスは
といった感じです。
以前であれば、それこそ10年くらい前は、タワレコやHMVに足繁く訪れて、メディアには取り上げられない胎動みたいなものを知りたくて色々視聴したりジャケ買いしたりしてましたが、最近は全くそんな事をしなくなりました。
それは、偶然の出会いも、知りたいものの深堀りも、ネットを起点としたほうが遥かに有意義で、リアルショップは旧態然のまま古臭くそこにいるだけだから、です。
端的に言うと、リファレンスとしての役割を、以前は環境の制約もありCDショップでも部分的に果たしていたが、もう今では旗艦店でもその役割を果たして無いのではないかなという感想です。
そして、今更感のある僕の感想と同じようなことを、数年前から多くの人は感じているんだろうな、という気もします。
周囲の環境が変化したことと、CD不況、不況前の活況(ミスチルとか全盛期の頃)に焼け太りしすぎて音楽周辺業界が大きくなりすぎた事、それゆえに商売至上主義に偏らなければいけないこと、色々要因はあるのでしょうね。
でも、結局、個人的な体験としては店舗を訪れる事はめっきり減り、結果店舗における偶発的な出会いや、それに伴う商売行動は激減しているのも事実で、ますますタワレコみたいな業態のお店にお金を落とすことは減っていくでしょう(音楽にかけるお金は、たいして変わらないと思いますが)。