井の中の蛙は大海しか知らない
「井の中の蛙大海を知らず、されど〜」的な言い回しが最近流行していますね。実は皆が知っていることわざには、続きが有った的な。
とはいえ、もともとは莊子の中の一節から転じたと言われることわざで、莊子の中では
井蛙不可以语于海者,拘于虚也
夏虫不可以语于冰者,笃于时也
と対になって語られており、井の中の蛙は海について語る事ができないし、夏虫は氷について語ることができない、という皆が想起する通りの否定的な意味で書かれています。
この「されど〜」的な言い回しは、日本でも語られるようになったのは最近に思えますし、中国語圏でも日本的な言い回しを逆輸入?してか、かなり色々混沌としているように見えます。
ここでは、中国のとあるファンタジー小説の中で、新撰組の沖田総司が話していた、等々、情報が錯綜しています。
結論として、以下の togetter にかなり仔細にまとめられており、これが正解なんじゃないかなと思います。
語源は諸説未だあるようですが、おそらく日本由来の言い回しで、昭和初期の頃にはすでに文章などに見える用例のようですね。
冷やかす訳ではないですが、蛙は大海を知ることはできないですし、だからといって空の広さや深さは蛙だけでなく蛙以外の他の存在でも知ることができるように思えます。
「されど〜」で上手く補ったようにみえて、実際のところ蛙はあまり救われてないのではないかな、と思ってしまいます。
「井の中の蛙大海を知らず さりて空の深さは蛙ならずとも皆知れり」