アイ

飛梅

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さだまさしは日本の古典文学を範にして歌を作ることが多いです。

この「飛梅」という歌は、タイトル、もしくは歌詞を読むとすぐ分かるように、「東風吹かば 匂いおこせよ 梅の花〜」で有名な菅原道真の歌、そしてゆかりのある舞台である太宰府天満宮を歌い上げた歌だということがよくわかります。

http://j-lyric.net/artist/a0004ab/l01031a.html

 

この「飛梅」という歌では、古典の概念や詩風を引用しつつ、人の心の儚さや無常観を描き、そしてそれらに関わらず永遠と続くかに見える自然の営みを対比して描き出しています。人と自然、異なる時間軸が同時に表れることで、さらに人間の儚さというものが際立つ歌です。

 

古典を範にした歌ということだと、奈良の春日大社を舞台にした「まほろば」という歌もありますが、この「飛梅」と同様にまほろばも同じようなテーマを描いている歌に思えます。

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人生の営みをテーマにしたかのような、これだけ壮大な世界観を描き出そうとすると、現代の価値観だけではその世界観を埋めるには器が足らず、過去の古典に委託するより他になかったのかもしれません。

結果として、「飛梅」をはじめこれらの歌は、言葉の格調の高さ、荘厳さ、そして長年の間日本で使われてきた言葉を用いることによる説得力と普遍性を獲得しているように思えます。

 

さだまさしの作で、古典に範を取った作品の中での名作・歌曲は、彼が若い頃の作品に佳作、傑作が多いように思えます。

「飛梅」が25歳、「まほろば」が27歳の頃の作品。この作品群を作るにあたりどの程度計算をしていたのか、ただ自分の作りたい作品をそのまま作っただけなのか、想像をどうしても豊かにしてしまいます。いずれにしても、20代でここまで老成した完成度の高い作品を作り出せるミュージシャンは、今後現れてくるのでしょうか。

 

 

個人的に、この「飛梅」という歌は、冒頭の以下の歌詞が心に残ります。

心字池にかかる 三つの赤い橋は

一つ目が過去で 二つ目が現在(いま)

三つ目の橋で君が 転びそうになった時

初めて君の手に触れた 僕の指

太宰府天満宮の心字池の橋にそのような意味があるか、というと、これは完全にさだまさしの創作でしょう。

いずれにせよ、ここに描かれている風景・情景は具体的なエピソードとしても捉えられるし、観念的な価値観の提示や比喩にも見えるし、本当か嘘か現実か夢か、どっちつかずでおぼろげな風景が描かれています。

実は、人が認識できる現実というものは、このくらい不確かな、おぼろげな姿なのかもしれません。

 

この「飛梅」という歌は、遙々と静かに歌い上げられていくなか、二番の中サビから同じメロディ・テンポのまま想像してなかったドラマチックな展開へと進んでいきます。そして盛り上がりが最高潮に達した所で歌い上げられる「いずれにしても春」という歌詞に、計り知れないスケール感を感じる、そんな曲だと思います。