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本当の強さと弱さ

組織の中でパワハラを起こすような人は、どうしてそのような行為を働くに至ってしまうのか。どのような環境に置かれ、どのような気持ちからそのような行動を取ってしまうのか。

この一ヶ月ほどいろいろな人と話をし、本を読み、色々自分でも考えていました。

 

僕なりに出した結論は、彼らは、弱者である。弱い人達である。ということです。

 

 

たとえば、自分の仕事が上手くいかない、もしくは能力が足らない。いつも上司に怒られ同僚にバカにされ無視される。それは自身の怠慢が原因だし資質の問題かもしれない。

いっぽう同じ年くらいの人が自分よりも圧倒的に力量をもっていて、新たな困難に立ち向かうのも過去の実績を捨て去ることも新しい事に学ぶことにも物怖じせずにいる。

そんな姿を目の当たりにした時に、「自分も努力しなければ」と正の方向にエネルギーが働かず、羨望や嫉妬、妬みにまれてしまう。

 

たとえば、家庭の中で居場所がなく、子供の世話や家事を放棄し、何かに理由をつけては会社にとどまり、同僚と飲み歩き、社長や上司にはおべっかを使い、「仕事だから」と自分と家族に言い訳をして家庭から遠ざかり、その結果ますます家庭の居場所をなくす。

同じように家庭を持つ人が、何よりも家庭を家族を大事にし、親の介護や介助を淡々と行い、家事育児を率先して行い、目の前の幸せを確かに築いている。そして仕事もその人以上にこなしている。

そんな姿を目の当たりにした時に、「自分も身近な人たちの幸せのために生き、信頼を築き直さなければ」と正の方向にエネルギーが働かず、自らを省みることもせず、目の前の欲望に苛まれ、目の前の面倒なことから逃げ続けてしまう。

 

実際は、上述のようなわかりやすい自身の振る舞いの不味さだけではなく、不可抗力的に追い込まれることもあります。

上司から無茶なスケジュールを押し付けられたり、過大な要求を突きつけられたり。同期が先に出世しただの云々の世間体やプライド・面子の話もあります。

家庭のはなしであれば同伴者やその親からの様々なプレッシャーを与えられたり。

 

そんなふうに様々な要因で、追い込まれ、余裕がなく、自分に自信が持てない、何か知らの劣等感に苛まれながら、弱さを抱えて生きている。そんな人もいるのではないかと思います。

仕事も家庭もうまくいかない、その結果異性にもモテない、目の前には面倒な事だらけ、だけど努力するのは大変だし辛い、身近な事を真面目にやるのもダサくて格好悪い、とにかく自分は今のまま偉そうに振る舞いたい。格好良く見られたい。他人に褒めてほしい。とにかく褒めてほしい。

そんな風に、乾ききった渇望とも呼べる感情が、抑えることができずに溢れてくる。

 

でも普通は、それらは満たされることはありません。

正当に努力を続け、自分が正しいと思うことを派手さの無い中信念をもとにこつこつ築き上げた結果、はじめて与えられるものです。

 

 

ただし、組織の構造がたまたま歪で、上記のような人が、何かしらの特権的な力や立場を手に入れてしまう、そんなことも世の中では起こることがあります。

その場合、組織の中で何がおこるか?

パワハラやいじめが起こる構図とは、このような構図なのではないかと思っています。

 

本来は自分が努力しなければいけない、だけどたまたま自分が上司の立場など特権的な権限を持っていて、優秀で従順な部下がいる。もしくは自分が何をしても他人にはバレないしだれも咎めない。自分がやりたいコトをやって、欲望を発散させ満たすことができるかもしれない。

そんな状況になったときに、人間として正しい行動を取るという気持ちより、自分の満たされない乾ききった欲望を満たすことが、上記のような人においては優先されます。

たとえば従順なうちはその人の手柄を自分のものにしたり、そうでなくなったときは感情的に気に入らないことがあれば密室に呼び出して罵倒したり、嘘八百を並べ立ててその人の陰口や悪口を吹聴したり、その人の仕事の邪魔をしたり、自分の下になるよう貶める行動を続ける。

異性に対しては、セクハラ、という行為に及ぶこともあるでしょう。

 

概ね、組織の中で自己主張したり反抗したりしそうに見えない、他人に従順であったり、気が弱そうであったり、寡黙な人が、よりそのような人の格好の餌食になることが多いように思えます。

もちろん、外見からそう見えるだけで、実のところ芯が強く毅然とした態度を取る強い人もいます。そういう強い人は、自分が困難な境遇に置かれる事を覚悟しつつも、「それは間違っている」と誠実に主張を行ったりする強さを持っています。

 

加害者が強者で、被害者が弱者だ、という観点は間違いでは無いですが、人間として違う視点で見た場合、その人としての強弱は、世間的な見え方と逆転しているケースが結構多いように思えます。

 

 

まとめると、パワハラを行うような人は、いつも何か満たされず、それが故に自分の感情を抑えきれず、他者に対して結果として攻撃的な行為を働いてしまう、そのことが我慢できない、という人たちだと思います。

そして、こういう人たちは、とても人間として弱い人達、だと思います。

 

弱いからこそ、異様に他人の評価や見た目を気にするし、自分の過失や不作為を責められるのを極端に怖がるため周りから見ると不自然に自己弁護に走ったり、自分は正しいと正当化したり。

そして自分に自信がないから、いかに自分が凄いかをあることないことストーリーを作り上げてアピールをし続けたり、常に考え方が自分中心になってしまい他人の事を考えられなくなったり、他人に自分の否を指摘されても聞く耳を持たなかったり。

かと思ったら、誰も見てなかったり、自分のワガママが通る環境では、びっくりするくらい人としての道を踏み外してしまったり。

 

 

ひるがえって、自分がこういうパワハラをするような「弱い人」にならないためにはどうしたらよいか。

個人的な結論としては、自分が幸せになるしかない、と思っています。

それも、表面的なものではなく、自分が正しいと思っていることを日々行い、自分として理想的な環境を芯から作り上げること。

たとえば、親しい家族や友人たちと幸せな環境を築いたり、皆が笑って過ごせる幸せな家庭を築いたり、そういう「当たり前」すぎる日常的な営みを、きちんと愚直に誠実に、行うこと。

 

そして、自分の気持ちに対して誠実であること。

謙虚に生き、他人への感謝を忘れないこと。道義に外れたようなことを行わないし、他者が行った時にも「それは違う」と言えること。

目の前の困難を直視し、それでも自分の気持ちのレールから逸れずに日々を重ねること。それが、人間としての自信につながり、強さにつながると思っています。

 

他人から見たら平凡と見られていても自分自身が満たされ、他人から見たらささやかな事かもしれないけれど自信を持っている人は、ことさらに道を踏み外したり、道をそれるような行為をすることも無いでしょう。

そして、実際、こういう人は、とても強い人だと思っています。

 

 

こういう事について思索を巡らせていると、ふい、

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ 

こんな、茨木のり子さんの詩の一節が、心に染みます。