なぜ、コメダ珈琲店はいつも行列なのか?
なぜ、コメダ珈琲店はいつも行列なのか? ―「お客が長居する」のに儲かるコメダのひみつ
- 作者: 高井尚之
- 出版社/メーカー: プレジデント社
- 発売日: 2016/10/28
- メディア: 単行本
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名古屋出張の際に初めて訪れてから、私もコメダ珈琲の魅力に取り憑かれた一人です。
パンのクオリティと、採算を無視しているとしか思えないゆったりしたソファの設計、無限に続くと思われるおばちゃんのおしゃべりを放置するお店の寛容さ、などなど。
そんなコメダ珈琲の魅力について、まとめられた本です。
ひたすら「コメダ推し」の紙面なので、機関広報誌的な位置づけで捉えると良いと思います。
店舗数ではスタバ、ドトールに続く第三位ということで、スタバなどとよく比較されるようですが、僕もこの本を読んで気づきましたがスタバ・ドトールとコメダは圧倒的に似て非なるところがあります。それはセルフサービスか、フルサービスか、ということ。
セルフサービスのお店はカウンターで先に注文してテイクアウトするか自席を確保する導線になってます。フルサービスは、まず席につき、店員が注文を席まで取りに来て、商品も席まで運ぶ。テイクアウトも行っているが基本的には店内サービスを前提としている。
なので、コメダ珈琲は、フルサービスのコーヒーショップとしては日本最大の店舗数を誇る、という表現ができます。競合はルノアールや星乃珈琲店や、いわゆる街の喫茶店になり、そう考えるとここまで店舗を拡大して急成長できてしまうコメダの異質さが際立ちます。
コメダの平均滞在時間は1時間と言われており、先のセルフサービス系のドトールにくらべると倍くらい長いらしいです。その回転率で採算が取れるのかと思いますが、長時間営業(7:00~23:00)を行い、その全時間帯にまんべんなくお客を集めることで不利を補っているようです。また、朝のモーニングで提供されるトーストと同じパンを通常メニューのサンドイッチなどでも使うなど、食材の回転率を上げるなどの工夫をしているようです。
以下は特に本では触れられてないですが、コメダは都心や駅チカにお店があるというより、少し離れた、車で訪れる事を前提とした郊外に立地することが多いですが、早朝〜昼間〜夜間人口が安定して一定数以上多い土地をある程度選んで出店しているのでしょう。
当書を読んだり、実際にコメダに入り浸ったりした自分の感覚としては、当書に書いていることは非常に頷けることが多いです。
そして、僕の個人の意見では、コメダは見た目の流行にとらわれずに「実質」を追い求めているお店だな、と思います。
パンの美味しさや、やぼったい器にびっくりするほどたっぷり注がれて出てくるコーヒー、豪華で座りやすいソファ席、そして長居を許容する店作り。
おしゃれさはないかもしれませんが、いずれも、「顧客が本当に望んでいたもの」である気がします。
SNS などで喧しく自分をアピールする人たちはぜひスタバやブルーボトルなどに訪れていただき、コメダのことはそっとしていただき、より本質を求める人達の憩いの場としてコメダ珈琲は末永く快適な場所を提供してほしいな、と思っています。
とはいえその魅力に気づく人も世の中には大変多いようで、業績はうなぎ登りのようですし、株価も上場以来たいへん好調なようです。
これでいいのか川崎市
コンビニなどで、誰が買うのかよくわからない安価なムック本を見かけることがよくありますが、そのなかで「地域あるある」的な情報をまとめた本はひとつのジャンルになっている気がします。
そのなかで、絶対普段なら読むこともないですが、暇にあかせて買ってみました。
川崎市出身者の悲哀というものは沢山ありますが、県外の人と話をするときに「川崎出身です」という話をすると、95%くらいのの人には「川崎駅」やその周辺の港湾地域のイメージを前提に語られてしまいます。
しかし川崎は多摩川に寄り添うように南北(もしくは東西)に細長く広がる地勢を持ち、南北(東西)の交通網が貧弱なこともあって川崎北部(西部)と、川崎駅が存在する川崎南部(東部)の交流がびっくりするほど存在しません。
北部側にある宮前区に生まれた僕は、川崎駅に出るよりも、港北ニュータウンや渋谷に出る事の方が圧倒的に多く、今でも川崎駅の周りに何があるのかよく知りません。
川崎市は7区ありますがそれぞれが特異な存在感を持っており、そんなモザイク模様で統一性の無い、ある意味隣接する地域や環境によってカメレオンのように姿を変える、そんな、川崎市民、出身者であれば共感できる、他県には理解できない川崎市の姿について、まとめられている本です。
個人的には、川崎市民プラザが取り上げられているのがなかなか郷愁を呼び戻すには十分なネタでした。
ゴミ焼却場に併設された、焼却熱を再利用して温水プールなどを整備した施設で、地元の憩いの場所であると同時に他県人には絶対にどうでも良い施設で、こういう地元以外の人に関心がなさそうな施設を取り上げるあたり、当書の編集の人たちは「よくわかっている」と感じさせます。
また、僕も子供のころによく通った鷺沼プール(今はフットサル場になった)の「六角プール」も、地元民にしか通じない情報としてなかなか味わい深いです。
宮前平を中心としたエリアが「高級住宅街」と表現されているのは、だいぶこそばゆい感じをさせます。
しかし、昔は当たり前の光景として眺めていました風景が東京に移り住んでみてその見え方が変わることもあります。計画的に開発された庭付き+駐車場付きの邸宅があたりまえの宮前平周辺の区画は、東京23区にそこかしこに点在する戦後ドサクサとしか思えないようなバラックの建物や信じられないくらい狭窄な道や区割りなどがある現場にくらべると、とてもハイソで高級感がある、のも確かなように思えます。
また、教育熱が高いのも、地域の特性として確かでしょうね。
川崎市もなんだかんだいって140万人を越す大都市で、市全体を一冊のムック本で表現するのは限界があり広く浅く感は拭えないですが、暇な時に、もしくは地元の人と一緒に拾い読みしたりするには、こういう本はなかなか良い気がしています。
なるほど、コンビニとかに置くには、たしかに適切な本かもしれないですね。
歇后语
日本語に適切な訳が見つからないですが、「しゃれ言葉」「かけ言葉」といった風に訳されることが多いようです。
何かを暗喩するような言葉を謎かけ的に使う言葉で、おもに昔の故事などから引用されることが多いようです。
よく代表例として挙げられるのが以下
孔夫子搬家
「孔夫子」は孔子、「搬家」は引っ越しのことです。
この言葉の意味は「負けてばっかり」...まだ意味が全然わからないですよね。
孔子の家にはたくさんの本が置いてあり、本の事を中国語では「书(shu)」と呼びます。
そして、书 と同じような発音の語に「输」という言葉があり、これは負ける、という意味です。
同じ音にかけて、「たくさんの本がある = たくさん負ける」という連想で、このような意味になるようです。
三国志好きの人には「阿斗当官」というのが良いかもしれません。
阿斗はご存知の通り劉備の息子で、凡将の代表格の汚名を着せられている人です。
そんな人が官職に就く、ということで「有名だけど中身が無い」ことを表す語になっているようです。
中国近現代文学について興味のある人には「阿Q谈恋爱」も良いかもしれません.
作品の中で阿Qは名家の女中に直情的に劣情をいだき手を出したりするのですが、そういう人間が「谈恋爱=恋愛をする」ということですから、「直截的に物を言う」というようなことを表す語になっています。
「歇后语について学ぶと、あなたの幼稚園〜小学生レベルの中国語も、中学生レベルくらいまでは上がるかもよ」と、以前知り合いの中国人に言われたことがありますが、たしかに歇后语にはいろいろな歴史的な逸話や、中国語におけるレトリックなどが存分に織り込まれているので、勉強するには良い教材かな、とも思います。
なんか以下のような、誰得かよくわからない twitter bot も見つけてしまったので、こういうのも見ながら緩やかに勉強していこうかと思います。
女は引き寄せて、つっ放す
太宰治の人間失格を読んでいるのですが、なかなか刺激的というか男性の女性に対する心を上手く表現しているなという一節をただ貼り付けておきます。
女は引き寄せて、つっ放す
或いはまた、女は、人のいるところでは自分をさげすみ、邪慳にし、誰もいなくなると、ひしと抱きしめる女は死んだように深く眠る、女は眠るために生きているのではないかしら
その他、女に就いてのさまざまの観察を、すでに自分は、幼年時代から得ていたのですが、同じ人類のようでありながら、男とはまた、全く異った生きもののような感じで、そうしてまた、この不可解で油断のならぬ生きものは、奇妙に自分をかまうのでした。
「惚れられる」なんていう言葉も、また「好かれる」という言葉も、自分の場合にはちっとも、ふさわしくなく、「かまわれる」とでも言ったほうが、まだしも実状の説明に適しているかも知れません。
从那以后
以下の衝撃的なドキュメンタリーを見てから、文化大革命について色々調べ始めたのですが、
最近、2016年、以下のような歌が中国の音楽番組「中国之星」(中国の星。星は日本と同様芸能的な"スター"の意味がある)をきっかけに話題になったのを知りました。
6人家族だった家族が、文化大革命により、父は吊るし上げられ粛清され、そのことにより一家離散し、母は再婚し別の地に、兄弟は「下放(知識階級が農村などに放追されること。習近平などもこの経験者であるのは有名)」によりばらばらの地に追いやられ、一家が集まることもなく遠く幸せを祈っている。私が歌うのは、両親の歌。「誠実に、善良に、生活を楽しむ」。これは両親が一番好きな歌だった。
というような歌詞の内容でした。
もちろん、政治的な責任問題まで踏み込むことは無いのでしょうが、一人の個人としての、その時代を生きた人の感じた痛みを歌い上げ、そのことが多くの人の共感を得たのでしょう。
皆が筆舌しがたい辛さ、人間の愚かさと恐ろしさを感じた出来事について、できるだけ淡々と、叙情的に語る歌、という意味だと、ある意味さだまさしの「広島の空」と親しい世界観の歌なのかな、ということが言えるかもしれません。。
ある意味ガス抜き、ということなのかもしれないですが、中国の社会でも文化大革命について語られるようになった事は、犠牲になった人へのわずかばかりの弔いになるのではないかと思います。
文化大革命だけでなく、天安門事件や、チベットや新居ウイグル地区その他少数民族への大規模なジェノサイド、人権蹂躙などについても、ひろく多くの人の門前で中国人同士が語れるようになる、そんな時代が来るとよいな、と陰ながら祈っています。
井の中の蛙は大海しか知らない
「井の中の蛙大海を知らず、されど〜」的な言い回しが最近流行していますね。実は皆が知っていることわざには、続きが有った的な。
とはいえ、もともとは莊子の中の一節から転じたと言われることわざで、莊子の中では
井蛙不可以语于海者,拘于虚也
夏虫不可以语于冰者,笃于时也
と対になって語られており、井の中の蛙は海について語る事ができないし、夏虫は氷について語ることができない、という皆が想起する通りの否定的な意味で書かれています。
この「されど〜」的な言い回しは、日本でも語られるようになったのは最近に思えますし、中国語圏でも日本的な言い回しを逆輸入?してか、かなり色々混沌としているように見えます。
ここでは、中国のとあるファンタジー小説の中で、新撰組の沖田総司が話していた、等々、情報が錯綜しています。
結論として、以下の togetter にかなり仔細にまとめられており、これが正解なんじゃないかなと思います。
語源は諸説未だあるようですが、おそらく日本由来の言い回しで、昭和初期の頃にはすでに文章などに見える用例のようですね。
冷やかす訳ではないですが、蛙は大海を知ることはできないですし、だからといって空の広さや深さは蛙だけでなく蛙以外の他の存在でも知ることができるように思えます。
「されど〜」で上手く補ったようにみえて、実際のところ蛙はあまり救われてないのではないかな、と思ってしまいます。
「井の中の蛙大海を知らず さりて空の深さは蛙ならずとも皆知れり」
龍安寺と日本文化私論
龍安寺自体に僕自身は特別な感慨はなく、まあ商売になれば良いんじゃないかという気もしています。
関係無いですが、坂口安吾が戦前に「日本文化私論」というエッセイを残しているので、そちらを引用します。
日本の庭園、林泉は必ずしも自然の模倣ではないだろう。南画などに表現された孤独な思想や精神を林泉の上に現実的に表現しようとしたものらしい。茶室の建築だとか(寺院建築でも同じことだが)林泉というものは、いわば思想の表現で自然の模倣ではなく、自然の創造であり、用地の狭さというような限定は、つまり、絵に於けるカンバスの限定と同じようなものである。
けれども、茫洋たる大海の孤独さや、沙漠の孤独さ、大森林や平原の孤独さに就て考えるとき、林泉の孤独さなどというものが、いかにヒネくれてみたところで、タカが知れていることを思い知らざるを得ない。
龍安寺の石庭が何を表現しようとしているか。如何なる観念を結びつけようとしているか。タウトは修学院離宮の書院の黒白の壁紙を絶讃し、滝の音の表現だと言っているが、こういう苦しい説明までして観賞のツジツマを合せなければならないというのは、なさけない。
(中略)
龍安寺の石庭がどのような深い孤独やサビを表現し、深遠な禅機に通じていても構わない、石の配置が如何なる観念や思想に結びつくかも問題ではないのだ。要するに、我々が涯はてしない海の無限なる郷愁や沙漠の大いなる落日を思い、石庭の与える感動がそれに及ばざる時には、遠慮なく石庭を黙殺すればいいのである。無限なる大洋や高原を庭の中に入れることが不可能だというのは意味をなさない。
芭蕉は庭をでて、大自然のなかに自家の庭を見、又、つくった。彼の人生が旅を愛したばかりでなく、彼の俳句自体が、庭的なものを出て、大自然に庭をつくった、と言うことが出来る。その庭には、ただ一本の椎の木しかなかったり、ただ夏草のみがもえていたり、岩と、浸み入る蝉の声しかなかったりする。この庭には、意味をもたせた石だの曲りくねった松の木などなく、それ自体が直接な風景であるし、同時に、直接な観念なのである。そうして、龍安寺の石庭よりは、よっぽど美しいのだ。と言って、一本の椎の木や、夏草だけで、現実的に、同じ庭をつくることは全く出来ない相談である。
(中略)
俗なる人は俗に、小なる人は小に、俗なるまま小なるままの各々の悲願を、まっとうに生きる姿がなつかしい。芸術も亦そうである。まっとうでなければならぬ。寺があって、後に、坊主があるのではなく、坊主があって、寺があるのだ。寺がなくとも、良寛は存在する。若もし、我々に仏教が必要ならば、それは坊主が必要なので、寺が必要なのではないのである。京都や奈良の古い寺がみんな焼けても、日本の伝統は微動もしない。日本の建築すら、微動もしない。必要ならば、新らたに造ればいいのである。バラックで、結構だ。
京都や奈良の寺々は大同小異、深く記憶にも残らないが、今も尚、車折神社の石の冷めたさは僕の手に残り、伏見稲荷の俗悪極まる赤い鳥居の一里に余るトンネルを忘れることが出来ない。見るからに醜悪で、てんで美しくはないのだが、人の悲願と結びつくとき、まっとうに胸を打つものがあるのである。これは、「無きに如かざる」ものではなく、その在り方が卑小俗悪であるにしても、なければならぬ物であった。そうして、龍安寺の石庭で休息したいとは思わないが、嵐山劇場のインチキ・レビューを眺めながら物思いに耽ふけりたいとは時に思う。人間は、ただ、人間をのみ恋す。人間のない芸術など、有る筈がない。郷愁のない木立の下で休息しようとは思わないのだ。
今のただ古臭いだけの昭和から取り残された街である京都にくらべ、坂口安吾が生きた時代の京都は文化的な街としても歓楽街としても無二の存在だったわけで、その京都という街に対しての愛情も感じられますし、その上での批判で、とても自分の心に誠実な文章だなと思います。
それに比べると、今の、無批判に京都礼賛の声を上げる文化人は、だいぶ堕落してしまったのだな、と思います。これはもちろん(僕の大好きな)さだまさしとかも含みます。もちろん本音を表で吐露しないだけなのかもしれませんが。
坂口安吾という人は、戦中は軍事政権にべったりのおべんちゃら文章を書いたりもしていますが、基本的にはその時の流行に引きづられずに自分の心に誠実な文章を書く人です。それが故に、生まれた時のままの瑞々しさが遠く時代を経て我々にも伝わってきます。価値観の相克や変化が起こった時代に彼の文章を読むと、なおさらその切れ味、妙味が心地よく感じられます。